「農民」記事データベース20010205-479-05

農民連13回大会

小林節夫代表常任委員の討論のまとめ

関連/退任にあたって


 三日間ご苦労さまでした。大会の参加者は三百四十四人、そのうち女性が五十九人です。発言者は四十六人でした。

 作ることが輸入農産物とのたたかい

 討論では、「作るものすべてが暴落」という中で、農民連が非常に元気よく活動している姿が示されました。輸入農産物とたたかううえで、市場流通にとりくみ、ライフエリアを守る運動をするなかで国民諸階層と団結することの重要性が、実践的に報告され、裏付けられました。

 どんなに安くても市場にホウレンソウを五十万束出荷し続けた栃木県連のとりくみは、市場に文句はあるが、出さなければ文句を言っても相手にされないし、出荷することによって市場との交流も深まる、価格も安定するという実績を残しました。

 政府はことあるごとに作るなと言っています。しかし私たちは、「作ることが輸入農産物とのたたかいなんだ」とみんなで確認してきました。そのことの正しさが実践で確認され、生き生きと語られました。

 これから作る仲間を増やそうという時に、自分たちがまず作る、実践するということに徹してがんばりたいと思います。

 新聞「農民」の大きな力

 セーフガードの問題と新聞「農民」の拡大は、密接な関係があります。一昨年四月の米関税化をなぜあんなに易々と許したのか、もし数十万の組織があり、「農民」読者がもっといたら許さなかったはずという悔しい思いから秋田県連などの新聞拡大の実践が始まりました。新聞「農民」号外やPR版を農業委員や農協の人たちに配っていなければ、セーフガードに向けた調査開始に政府を追いつめることは決してできなかったろうと思います。

 一緒に学び、大志をもって

 報告で、「発足時に四万人で今も四万人か」という見方は正しくないということを述べました。農民連が発足する少し前までは、「農民運動は自己犠牲でやるもの」「会費なんてとんでもない」というのが支配的で、そこから会員の水増し登録という問題が起こりました。

 その後、「会費を出し合ってたたかう組織をつくる」という見地にもとづいて、本当に血の出るような努力で登録人数を減らさずに内容を高めながら来ました。最近は、団体加盟もあるし、女性部も増えたりしています。そういう意味で一進一退では決してありません。

 我々はいま数十万の組織を作ろうと目標を掲げています。その見地から見れば、今の県組織の大小は大きな差ではありません。スタートラインについたばっかりです。この大会では、「小さい」県連からの発言からも大いに学ぶべき点があったと思います。

 佐賀県連の代議員は、自分の県の活動を省みて、こういうことが必要ではないかということを五、六点挙げました。別の代議員からも「自分たちの県・地域の農業をどうするのかという点で責任ある活動をしよう」という発言もありましたが、みんなでそういうことを考えたらどんなにすごいだろうと思います。

 それから石川県連の代議員は、滞納を計画的に返した経験を語りました。役員会でお金の話をすると暗くなるものですが、ひるまずに提起して、展望を語りながら解決してきました。

 借金や会費の問題を会議に提起しないということは、県連執行部のへっぴり腰です。同時に農家を信頼しないということです。機関紙を配ること、会費や機関紙代を集めること、ニュースを配ることは、もっとも基本的な活動です。それを丹念に誠実にやっていくなかで、農家の状況もわかってきます。

 このことが組織の近代化の要になります。いま財政的に困難を抱えている県連は、この問題を組織で検討し、自分一人で請け負わない、そういうことをやってほしいと思います。

 福井から四人も参加したのもすごいことです。それぞれのところでみんな前進しています。

 生産点の問題で本当に仲間を増やし、組織活動を発展させていくうえで、農村で大きな働き手となっている女性の役割は重要です。女性が大会にもっと参加できるように実効ある措置を講じたいと思います。

 大会の発言におおいに学び、大志をもってがんばろうではありませんか。


退任にあたって

前農民連常任委員 椎名 正男

 私が農民連にかかわったのは、農民懇の結成以来ですから、約二十年近くになります。

 千葉県の北総の片田舎から都心の新宿駅近くの一角にようやく間借り形式の事務所を構え、事務局員となったのが始まりでした。一年過ぎて小林節夫さんや谷口一夫さんが正式に任務につくまでの短い期間でしたが、当時、東洋大学教授の重富健一先生(現・農民連顧問)の援助を受けながら、都内の労働組合や民主団体に農民懇の宣伝と協力を訴えて歩いたことが昨日のように思われます。

 そのうちに谷口さんに続いて小林さんが来て、農民懇も本格的な組織活動が進みました。真の自主的・民主的な農民組織をめざして五年近く、みんなで苦労に苦労を重ねて一九八九年の農民運動の全国センター、農民連の結成大会の成功を参加者全員で喜び合ってから、ひと昔が過ぎました。

 農民連結成以降、常任委員の一人として頑張ってきましたが、この間の活動で一番の思い出は海上デモです。農民懇時代の一九八四年夏の米価闘争から、横浜の港湾労働組合など、地元横浜の労働組合と農民懇の共催で始まった「農産物の輸入自由化に反対し、日本の農業と食糧を守るための労農共同海上デモ」が十年間にわたって実施されました。最高時には港の通船十五隻に約四百人が乗り込んで、旗、のぼり、横断幕を飾って横浜港を一周し、横浜港の中心部を占領している米軍のノースピアの正面で怒りのシュプレヒコールを行い、参加者全員が大いに気勢を上げたことは、いまでも忘れられません。

 長い間、頑張ることができたのは、千葉県内はもとより、全国の仲間のみなさんの激励や協力があったからです。

 この度、役員は退任しますが、引き続き日本農業を守るために力を尽くす決意です。長い間、ありがとうございました。

(新聞「農民」2001.2.5付)
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2001年2月

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