「農民」記事データベース20010212-480-06

退任にあって

前農民連常任委員 大坪 求


 私は一九八〇年一月、東京で開催された「農業の民主的再建をめざす第一回全国経験交流集会」に参加し、「広島県北の農業を守る連絡会議」の組織と運動の経験を述べ、多くの参加者から注目されたことが思い出にあります。

 一九八四年五月の全国懇結成のときは十三人の呼びかけ人の一人として参加、八九年一月の農民連結成からの活動を含め、この道二十一年目。あの時、あの人が、この人が、と思い出は尽きません。

 この間、全国経験交流集会、全国懇、農民連の活動は、私にとって苦労もありましたが、楽しく、またやりがいもあり、元気も出る二十一年でした。私の知人や友人が「なんでアンタは年をとらないか。いつ見ても若い。その秘訣を教えてくれ」と、よく聞かれます。私は「これという秘薬はないが、農民運動をやっていると年をとらない。それどころか、ますます若返る」と言ってきました。

 九六年八月、広島県三次市で開催された「農民運動全国研究交流集会」に三十八道府県から二百十人も参加され、成功したことが、今でも私の心に鮮明に残っています。開催地の広島県連として頑張ってきたことを誇りに思っています。当時、協力・賛同してくれた農協や行政、宿泊ホテルの関係者からは、今でも思い出話として寄せられます。

 八九年十一月二日に開かれた常任委員会でのこと、私は秋の松茸の時期でもあったので、故郷の山々を歩き二十三本を探し当て、これをお土産にして広島発の夜行列車で上京しました。会議が終わって本部役員、事務局の方に炭火で松茸を焼いて食べてもらいました。「三次産の松茸のよい味は忘れられない」と好評だったことも、私の大切な思い出となっています。

 私の母親は三十八歳で夫を亡くし、女手一人で私たち兄弟六人を育て、一町六反の米作りを続け、百姓一筋に生き抜いてきました。私が農民運動にたずさわり、絶えず心の支えとなって頑張ってこられたのは母親の存在です。今後とも農民運動、農民連の発展をめざして頑張ります。みなさんのご協力に感謝します。

(新聞「農民」2001.2.12付)
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2001年2月

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