「農民」記事データベース20020506-537-21

農の考古学(7)

稲作の歴史をたどる


稲作伝播のルートは

 稲作は日本列島に、どのような道筋で伝わったのでしょうか。

 長江の中・下流域から(1)中国南部―台湾―南西諸島経由で九州にいたる説(南回り説)、(2)直接、海路で九州に伝播した説(江南説)、(3)山東半島―遼東半島―朝鮮半島を経て九州に伝わったという説(北回り説)の三つの説があります。

 早くから、稲作の起源が長江中・下流域にあると主張してきた北京大学の厳文明教授は、一九八八年に静岡市で開かれた「日本における稲作農耕の起源と展開」のシンポジウムで、遺跡から出土した資料による栽培稲の年代と分布からみて、北回り説が最も可能性を持ったルートだと講演しました。

 中国・朝鮮・日本の水田跡や出土した農耕具にみられる個性、共通性から稲作伝播の様子を解明したのが愛媛大学の田崎博之教授でした。

 田崎教授は、中国・長江流域(馬家浜文化後期・紀元前約四〇〇〇年前)、朝鮮半島(無文土器前期・紀元前七〇〇年前後)、日本(縄文晩期終末=弥生早期・紀元前五〇〇年ころ)の水田跡の形、水利施設の有無、水田が造られた地形、土壌などを比較しました。

 また、掘り棒やクワ(鍬)、スキ(鋤)などの農耕具の共通性と個性を検討。弥生時代の農耕具の主役であるクワが、長江中・下流域にはなく、クワの系譜が山東半島―朝鮮半島―九州であることを調べました。

 「農耕具の流れ・系譜からみて稲作伝播は北回りルートしか考えられません。そうでないと、日本でのクワの成立はありえません」と同教授はいいます。

 栽培技術や農耕具をつくる道具がひとつ、ひとつ伝わったのではなく、稲作農耕に伴なう文化の全体が一気に伝わったのです。

 この稲作伝播によって、日本列島に住んでいた人びとの生活は大きく変わっていきます。

(つづく)

(新聞「農民」2002.4.29・5.6付)
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2002年5月

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