「農民」記事データベース20030310-577-02

割箸発祥の地はいま…

奈良県吉野の里を訪ねて

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 割箸(わりばし)の自給率はたった三%。豊かな森林の国と言われる日本で、何でこんなにも下がってしまったのでしょうか。割箸の発祥地、奈良県吉野の里を訪ねました。
(西村)


 二月二十日、京都駅から近鉄の特急で一時間三十分、下市口駅に到着。みぞれの降る寒い中、橋本好市さん(65)が出迎えてくれました。橋本さんは下市町で割箸の製造・販売をしている「橋本製箸所」の二代目当主。

 「昭和五十年(一九七五年)代の全盛時には割箸を作っている業者が二百五十軒以上ありましたが、いまは夫婦二人で細々とやっているのが二十軒ほど」という橋本さん。橋本製箸所にもかつては十四〜十五人働いていましたが、いまは橋本さん夫妻だけです。

 下市口駅から橋本さんの家にいく道の両側には、かつて割箸を作る家が林立。箸にしたあとの材料クズを燃やす煙が、もうもうとたなびき、先が見えないほどだったそうです。「あそこの家もここの家もやめてしまった。本当にさびれてしまった」という橋本さんの顔が曇ります。

 外食で使われていた国産の割箸は、安い中国産の竹箸などに切り替えられ、注文が激減。割箸業者は生活ができず、次々にやめていきました。

 捨てる端材(はざい)利用

 美林を誇る吉野杉は江戸時代に酒樽の材料として使われ始めました。その端材を惜しんで何とか有効に利用しようとして生まれたのが割箸。それが地場産業として発展し、一時は地元の中心的な産業になりました。

 吉野杉の原木は、中心部分が角材や板などに製材されます。残りの外側の木皮(こわ)だけを利用して割箸が作られます。本来、利用度の少ない部分を一本一本巧みに加工し、吉野杉の美しさを損なわず割箸に作り上げていきます。

 「木目とつや、形、割裂性(割れ方)が良くなければ良い材料にはなりません。この木皮一本が八百円から千円します。選んで買いますが、三十本に一本は割箸の材料にならないものがあります。最近は良い木皮が手に入りにくくなりました。建築材料に使われる柱が売れなくなり、吉野杉の原木が少なくなっているから」と語る橋本さん。

 外材輸入で危機

 吉野杉の原木が少なくなっている原因は何か。翌二月二十一日、奈良県連の中垣義彦会長の案内で、林業経済史研究者の谷彌兵衞さんとともに吉野木材協同組合連合会を訪ねて、副理事長の上大(うえおう)昭さんに話を聞きました。

 「いま山から帰ってきたばかり」という忙しさの中で、取材に応じてくれた上大さんは、「吉野の木材業は江戸時代から始まり、山林所有者や地元の木材業者、山林で働く人たちの長年の努力によって日本一の杉と檜を育ててきた。市場でも最高の価格で売れていた」と言います。

 ところが「昭和三十九年の木材の輸入自由化や丸太の関税撤廃などで外材が大量に出回るようになった。お酒の樽が瓶になり、電柱もコンクリートに。住宅の建築方法も変化し、吉野の杉や檜の需要が激減。五十年、六十年、百年と手入れされた山林が資産にならなくなった」。

 上大さんはさらに「急しゅんな山から伐採した原木を運ぶにはヘリコプターを使用しなければならない。その費用もかかる。木皮一枚が千円で売れ、製材業者の資金源にもなっているのに、伐採量が少なくなり、その木皮が少なくなっているので製材業者も苦しい」と言います。そして「自民党政治を支持してきたが、政治が林業をダメにした」と指摘しました。

 吉野の山林はほとんどが民有の人工林です。木材が売れなくなり、その結果として枝打ちや間伐などの作業を十分に行うことができなくなっています。上大さんは「このままの状態でいけば、大変な事態になる」と心から憂えています。

 谷さんは「住宅や学校など公共施設に国産材をもっと利用してほしい。また、木材を利用したミニ発電所を建設したり、風害や雪害に弱い杉、檜に代えて欅などの広葉樹を育林するなど、多元的な林業システムを構築する必要がある」と、吉野林業の展望について提言しています。

 引き続き、この課題を追求していかなければという思い新たにして吉野の里を後にしました。

(新聞「農民」2003.3.10付)
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2003年3月

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