「農民」記事データベース20040105-617-06

若い風

若者が“やろう”と思える農業を


 23歳の農業委員

    斎藤 美緒(みお)さんに聞く(青森・尾上町)

 二十三歳の若さで農業委員に初当選した青森県尾上(おのえ)町の斎藤美緒さん(日本共産党公認)。三十六年ぶりに行われた農業委員選挙(〇三年十一月十六日投票)の結果に、「これで、町に新しい風が吹く」と期待の声があがっています。農業委員になった美緒さんを訪ねました。
(森吉秀樹)


農業で生きていこうと決意
大変な現状を変えたい

 20歳で立候補できると知り

 津軽平野の東端、南津軽郡のほぼ中央に位置する尾上町は、米、りんご、トマト、花卉、植木などが盛ん。斎藤さんの家では水稲一・四ヘクタール、野菜十アールを耕作しています。 

 小学生の頃から、父親の繁さんの農作業を手伝ってきた美緒さん。北海道の大学で社会科の教員免許を取得し、教員採用試験に挑戦してきましたが、昨年十月末、「これから、農業で生きて行こう」と就農を決意。その理由を「体を動かすこと

が好きだし、父親を助けたいという気持ちもあった」と打ち明けます。

 その直後、隣接する田舎館村で開かれた小集会で、輸入自由化による農産物の価格暴落などの現実を知り、「農民がおかれたたいへんな現状を変えたいと思った」美緒さんは、広報で知った農業委員選挙に出ようと考えます。

 相談を受けた母親のりつ子さん(日本共産党尾上町議)が町に確認すると、二十歳から立候補できることがわかり、告示前日に立候補を決めました。 

 36年ぶりの選挙で初当選

 今度も無投票が予想されていただけに、美緒さんの立候補で町に衝撃が走ります。 

 なんといっても三十六年もの長い間、無投票が続いていた農業委員選挙。告示の日、祝勝会を準備していた候補者や、「制度が変わり、農業委員の選挙は無くなったと思っていた」という人も。

 告示の前日、立候補書類を受け取りに行ったりつ子さんは、「その時、職員のこわばった表情は今でも忘れない」と話します。町でさえ投票用紙など、選挙の準備をしていませんでした。 

 選挙戦に入り、美緒さんは、「農業後継者への就農支援策の充実」「地元農産物の学校給食での利用促進」を掲げ、「少しでも農業を良くしていきたい。若い人がやってみようと思える農業にしたい。農業委員の勉強をさせて下さい」と訴えました。 


女性委員誕生―たちまち話題に

“町に新しい風が吹く”

 温かい励ましエールもくる

 突然の立候補に、「無投票を邪魔した」「なぜ二十三歳で立候補させるんだ」「もっと技術を学んでから来い」などの強い反発もありました。しかし一方で、「若い人も一緒になって農業をやっていければいい」「最初から知っている人はいないのだから、これからがんばれ」という温かい励ましの声も。 

 今まで選挙に行ったことがなかった若い人が投票するなど、全町的な期待も広がり、百五十五票、十三位(定数十三、立候補十四)で当選しました。 

 美緒さんを含め、十三人の農業委員の平均年齢は五十六歳。二十代は美緒さんだけとあって、二十三歳の女性農業委員誕生はまたたく間に近隣町村の話題になりました。

 他の候補者に投票した人からも「よかった」と声がかかり、当選した農業委員の中にも「大変だったけど、選挙をやってよかった」という人も。そして「言いたいことは言った方がいいよ」と美緒さんにエールを送ります。

 農業後継者増やしたいと

 母親のりつ子さんは、「農業で自立できるようにがんばってほしい。農業委員会長は『米改革』推進の姿勢なので、農業を守る農業委員の誕生はとてもうれしい」と話します。

 そして美緒さんは、「農家を回って歩くと、『やって行けないから田んぼを売ってしまった。子どもも東京に働きに出ているから…』とか『自民党が政治を動かしているから、それを変えることは出来ない』と、あきらめている人が、けっこういたんです。それを何とか変えていきたい。二十〜三十代の自分と同じ若い人が農業を選択し、後継者が増えるようにしたい」と抱負を語ります。

 「これから一年、両親に学びながら、生活できる農業をしていきたい。いずれは加工にも取り組みたい」と農業の目標も話してくれました。

(新聞「農民」2004.1.5付)
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2004年1月

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