「農民」記事データベース20070423-777-14

「鹿児島県農林水産9条の会」発会の集いでの
萬田 正治さん(鹿児島大学名誉教授全国合鴨水稲会代表世話人)の講演


いま憲法と農業は深い関係に
憲法学習の私塾を開いて
農業破壊の根源つかんでこそ

 食料と平和とは一体のものだが…

 戦争が終わって、国民みんなが戦争はいやだと思い、食べものがいかに大切かを願い、いまの憲法が生まれました。しかし六十年経過して、平和がこんなに色あせ風化するものなのでしょうか。食料は平和と一体のものですが、自給率は四〇%を割りこみ、いまやわが国は食料輸入大国にされてしまいました。

 なぜこうなったのか。それは、日米安保条約を結んで対米従属の道を選んだからです。一九五四年の日米相互防衛協定(MSA協定)が今日の悲惨な農村を作り出した根源です。アメリカはひたすら食料を増産し、外国に売り込みました。日本の学校給食には「米を食べると頭が悪くなる」という宣伝までやらせて小麦を売り込み、畜産振興と称してトウモロコシを関税ゼロで輸入できるようにしました。そして、いよいよ米を標的にしてきました。

 日本再生を望む心あふれる憲法

 私は一九四二年の生まれで、佐賀県鳥栖市で育ちました。空襲警報のサイレンの音や久留米市の大空襲が花火を見るような美しさだったことを覚えています。母の着物と交換した米を駅の改札で警察に没収された光景を見て、幼心に屈辱感を味わったことが、いまでもよみがえります。

 高度成長期には農村から都市へと、集団就職の親子が駅のホームで涙する光景があふれるようになり、悲惨な農村のニュースに胸を痛めました。「なぜ食べものを作る人たちが幸せになれないのか。どこかが間違っている」と思うようになり、親の期待に反して大学は農学部に進みました。それも、おおかたの同級生が都会に向かうのに、鹿児島を選び「なぜ農業がもうからないか」を学びました。

 私の集落でもつい最近、いっしょにアイガモ農法を手がけていた五十歳代の農民が自殺しました。いまや農村は崩壊の危機にあり、展望を見出せないでいます。これをどうくいとめるかとの思いが募り、定年を前に大学を辞めました。崩落をくいとめ村を興すことが、私の最後の宿題だと思っています。

 自覚する農民をどう増やすのか

 いま憲法と農業は、深い関係にあります。いまこそ、自覚する農民をどう増やすかが課題であり、農業破壊の根源をつかまずして農民は立ち上がらない。その実践の一つとして、二百人が受講する私塾を開いています。そこで憲法の学習会を開き、今の憲法と自民党の改憲案の前文を読み比べてみました。今の憲法には、本当に日本の再生を望む心があふれています。

 あくなき市場原理の道か、それを抜け出す道かがいま、問われています。直売所はまさに、後者の実践ではないでしょうか。ともに、がんばりましょう。

(新聞「農民」2007.4.23付)
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2007年4月

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