「農民」記事データベース20070813-792-01

核のない世界・農業の振興熱い思い込めて栽培する

被爆62年 植え継がれてきた
原 爆 稲

栃木・上三川町 上野 長一さん(55)

 広島・長崎への原爆投下から62年。長崎で被爆し、植え継がれてきた稲を栽培している米農家を紹介します。栃木県上三川町の上野長一さん(55)。原爆稲には、平和と農業に込められた熱いメッセージがつまっています。


 農業35年・有機栽培・環境保全

 栃木県南部の東北本線沿線は三十数年来、新興住宅の建設ラッシュや大学の誘致で、開発が進む一方、沿線から少し離れると、昔ながらののどかな田園地帯が広がっています。上三川町は、こうした自然豊かで広大な平地が大半を占めています。

 上野さんは農業を始めて三十五年。米のほか、小麦、ライ麦を作っています。「田んぼの中に生きものがいるのが当たり前の姿」と、無農薬、無化学肥料の有機栽培を実践。

 田んぼと排水路の間に魚道を設け、ドジョウ、フナ、ザリガニなどが田んぼに行き来できるようにしています。自らの田んぼを環境保護団体「メダカの里親の会」の「生きもの調査」のために提供。上野さん自身も、「田んぼを通して、生きる基本である食べ物とは何かを伝えたい」と、小学校で非常勤講師を務め、子どもたちに田んぼとその周りの世界を発信しています。

 上野さんは「稲の古い品種を絶やしたくない」と、稲の種もみを約三百八十種保存。米の取引先には、赤米、黒米などを白米に混ぜた独自のブレンド米を出荷しています。

実のない空もみの割合が多い

 九州大学調査団発見・採取して

 多数の保存種の一つ、原爆稲は、長崎への原爆投下後の一九四五年十月、爆心地から五百メートルほどの焼け野原になった浦上天主堂横の水田で稲が自生していたもの。九州大学農学部の原爆調査団が発見・採取し、農場で植え継いできたものです。

 原爆稲の存在を知った上野さんは、「戦争のない平和な世界はみんなの願い。自分も農業を通じて、核兵器の問題を考える一つのきっかけを提供したい」と、稲を管理しているNPO九州アジア記者クラブから、種を取り寄せ、栽培、保存することに。三年目を迎えたことしも、三十株ほど他の稲の中に混ぜて栽培し、これまで順調に育っています。

 花が咲くまで普通の稲と変わりありませんが、被爆の影響からか、例年、実った稲は、普通の稲に比べて、実が入っていない空もみの割合が多くなります。食べても問題はありませんが、あくまでも保存用として栽培しています。

 全国百カ所以上に原爆稲の種もみや苗を提供してきたNPO九州アジア記者クラブ。理事長の古賀毅敏さんは「被爆者が高齢化し、年々語り継ぐ人も少なくなるなかで、稲が生きた証言者として、原爆の悲惨さを伝えてくれます。平和運動の一環を担っています」と語ります。

平和運動の一環担う稲 栽培用に分けます

 平和の祈り書いて米袋を届ける

 上野さんは、米の取引先の消費者には、田んぼのようすや平和の祈りを書いたメッセージを米袋に入れて届けています。

 核兵器のない平和な世界と農業振興の思いが込められた原爆稲。「原爆について考えるきっかけになって、核兵器廃絶の運動が広がってほしい。原爆稲を栽培、保存してみようという方がいれば、喜んでお分けしますよ」。上野さんの米作りに一段と力が入ります。


〈お知らせ〉来週発行予定の8月20日号は休刊します。

(新聞「農民」2007.8.13付)
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2007年8月

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