新聞「農民」
「農民」記事データベース20090601-878-02

「農業の多面的機能」を否定する農地法「改正」

 農民連・全国食健連が各界の著名人に呼びかけた「農地法『改正』に反対」の共同アピール。その賛同者の一人、「米カレンダー」の製作者で立正大学名誉教授の富山和子さんに話を聞きました。


 農地法改正反対・共同アピール賛同者

  「米カレンダー」製作者 立正大学名誉教授 富山 和子さん

画像 農業は、単なる食糧の工場ではありません。食糧を作る過程で、水や大気を養い環境に重要な役割を果たしています。「ところが、そんなことを考える政治家も学者もなく、研究する学問の分野すらない」と問題提起したのが、1974年に出版した「水と緑と土」(中公新書)によってでした。それ以来、私はそのことを訴え続けてきましたが、いまでは研究者は数知れず、政府も「農業の多面的機能」を唱えています。やっと理解されてきたと喜んでいたのでした。

 そんな私の立場からすれば、農業から土地を切り離して扱おうとする今回の農地法「改正」はまさに逆行です。政府自ら「農業の多面的機能」を否定しようとするものです。「こんどはお百姓さんが派遣になる」との見出しで書いた新聞がありましたが、非常にわかりやすい。

 たとえば、一人の企業主が東京から電話で采配をふるい、現地では労働者をかき集めてきて耕作すればよい。そんな姿を彷彿(ほうふつ)とさせる「農業の工業化」への道です。

 私が訴えてきたのは、逆でした。農民が食糧を生産するその過程で、山を育て水を養い水路を守り、国土の保全、日本文化の守りにもかけがえのない役割を果たしてきた、ということでした。それは農民の生活と農地とが一体となっていればこそでした。

 日本の農家は、少々の不作が続いても「親から受け継いだ土地だから」と歯を食いしばって農地を守ってきました。そんなふうにしてこの日本列島は、そこに住み、自分の土地を耕す零細な農家たちの共同体により、今日まで支えられてきたのでした。これがもし株式会社だったらどうでしょう。赤字が続いたら、株主が黙っているでしょうか。

 また、たとえば裏山を歩いていて、水路に落ち葉がたまっている。あるいは小さな山くずれを見つける。「大変だ」と村のみんなに伝え、いっしょに補修し、自分の家や農地に支障が出ないようにする、これが国土の守りの土台でした。日本の国の守りとは、原点は治山治水であり、その守り手は国土の隅々に住む零細な農民たちの共同体によってでした。日本のように、水に敏感な独特の国土条件にあっては、いまもその原理は変わりません。それどころか地球温暖化により、さらに農家の役割が大きくなっています。

 私は「日本の米カレンダー」を作りながらいつも思うのです。水田の中に一本の木が「田の神」としてまつられている。それを近隣農家たちが支えている。「日本の水田とは、2000年もの間投じ続けた、祈りと汗の蓄積の場。飛行機で種や農薬をまき、面積で勝負する大陸の農地とは違うのだ」と。

 自給率を上げるというなら、そうした農家をこそ支援すべきです。「大きいことはいいことだ」という発想じたい、時代遅れです。これまで農業が語られるとき、専門家やテレビのキャスターなども何かにつけ、「土地が、土地が」と、農地法がガンみたいに言って世論操作を重ねてきました。そんな流れの末についに出てきた、これは「平成の土地取り物語」です。

(新聞「農民」2009.6.1付)
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