新聞「農民」
「農民」記事データベース20110718-981-16

放射能汚染地帯を行く
リポート(3)福島・飯舘村

フォト・ジャーナリスト 森住 卓(たかし)


「来年“百合子ブランド”を」の矢先に

 6月29日、福島県本宮市にある県家畜市場で乳牛の競りが行われた。計画的避難地域の酪農家が白河などの牧場に避難させていた子牛や育成牛乳で、飯舘村の酪農家の41頭も競りにかけられた。すでに村内11戸の酪農家は4月末、「休業」を決めていた。

◇   ◆

 飯舘村蕨平の志賀正次さん(49)と妻の百合子さんは、原発事故前には四十数頭の乳牛を飼っていた。百合子さんは生まれた子牛の育て方に工夫を凝らし、冬の寒い時に下痢をした子牛には、ぬるま湯を飲ませる。人間の子どもと同じだという。生まれたばかりの子牛に湯たんぽを入れ小屋を暖めてあげ、脱脂粉乳ではなく母牛の生乳を飲ませた。自然に近い状態で健康な牛を育てるためだという。こうして、志賀さんの子牛は少しずつ高値がつくようになっていった。来年はもっとたくさん子牛を育て“百合子ブランド”の子牛にしようと張り切っていた矢先の原発事故だった。この競りで百合子さんの育てた子牛は35万円を超し、この日の競りで最高値をつけた。「うれしかったのは、生後6カ月の子牛を山形のトップリーダーが買ってくれたこと。『大事に育てて秋の共進会に出すから見に来いよ』と言ってくれたことが、何よりの励ましになった」と言って、避難先の会津に帰っていった。

画像
子牛の値がせりあがっていくボードをじっと見つめる志賀百合子さん(左端)=6月29日、本宮市の競り市会場

 この日で飯舘村の乳牛はすべていなくなった。「いつになったら村に戻れるのか。戻ってもこの歳では酪農を再開できないだろう」―それぞれの悩みを抱えながら11戸の酪農家は、避難先での仕事探しや県外の牧場で働くためにちりぢりになってしまった。

◇   ◆

 2カ月ぶりに訪れた長谷川健一さん(53)の畑は、青々と夏草がおい茂っていた。この畑は例年なら、飼料用のデントコーンが腰の高さまで伸びているころなのだ。原発事故後、長谷川さんはこの畑に出荷できなくなった原乳を3カ月間も捨て続けなければならなかった。脂肪分が固まって土中にしみこまなくなった原乳は腐敗し、チーズのような異臭を放っていた。周囲の牧草は放射性物質で汚染され、刈り取りができない。牧草地はいまだ200万から50万ベクレル以上の放射性物質で汚染されている。ちなみに、チェルノブイリでは55万5000ベクレル以上の地域は強制移住地域となっている。

 長谷川さんは畑に目をやって「いつもなら5時ころからトラクターに草刈り機を取り付けて、朝食の時間まで草刈りをしているんだあ」と、肩を落とした。前田地区の区長をしている長谷川さんは、全村避難した村の警備をするため、村が作った「見回り隊」に参加している。「緊急雇用創出事業によるいいたて村全村見守り隊員募集要綱」(飯舘村)によると、募集人員290人、雇用期間は来年の3月31日までで、事業費のうち人件費6億6000万円の予算がついている。「ふるさとを愛しているから、離れている間に盗難や犯罪から村を守るのが仕事だ」と長谷川さんはいう。

 一方、年間20マイクロシーベルトの被ばくをしてしまう恐れのある地域として、国は飯舘村を計画的避難区域に指定したが、「他に働くところがないし、収入を得るために仕方なく参加している人もいるんだ。290人の雇用を確保したと言っても、ひきかえに村民が被曝を積み重ねることになる」と、佐藤八郎村議は言う。

 計画的避難区域に指定されて3カ月が過ぎた。村に残っている人は7月1日現在で150人ぐらい(飯舘村役場)だという。しかし実際は、操業を続けるために村に残った企業の労働者や、避難先から戻っている住民などおよそ1500人以上いるのではないかという。「計画的避難て何なの?」と、住民の誰もが首をかしげる。

◇   ◆

「原発で手足ちぎられ酪農家」と遺して

 6月13日の朝、「相馬市の酪農家が自殺した」と、志賀正次さんから電話が入った。声はくぐもっていた。数日前に相馬市で会った酪農仲間だと。50歳代の酪農家は原発事故以来、ずっと搾乳した原乳を捨て続けていた。負債も抱え、フィリピン人の妻は2人の子どもを連れて国に帰った。牛も手放し、すべてを失った男性は6月11日、牛のいなくなった牛舎で首をつって命を絶った。堆肥(たいひ)舎のコンパネの壁に白いチョークで「原発さえなければ」「仕事する気力をなくしました」「残った酪農家は原発に負けないでがんばってください」と、遺書と思われる言葉が書かれていた。さらに黒板には「原発で手足ちぎられ酪農家」と。

 「心配していたことが起こってしまった。すべての希望を絶たれてひとりぼっちになってしまった。飯舘村では酪農家がまとまって行動しているから、辛い時に声を掛け合えるが…」と、訃報を聞いた長谷川さんは本当に悔しそうだった。原発事故以来、農民の自殺者は2人目になった。

画像
相馬市の酪農家の遺言(撮影=長谷川健一)

 長谷川さんと酪農家仲間が「飯舘村のおれたちの経験や気持ちを全国の人に知ってほしい,そのために講演に呼んでほしい」と呼びかけている。「原発事故でふるさとを奪われた飯舘村で何が起こっているのか、ぜひ知ってほしい」と。

※問い合わせ先はEメール iikouen@gmail.comにお願いします。

(新聞「農民」2011.7.18付)
HOT情報
写真