新聞「農民」
「農民」記事データベース20170123-1247-02

安倍農政を問う
戦後の農業・食料を振り返る
(上)

元東京教育大学教授
元農業・農協問題研究所理事長
暉峻 衆三さんに聞く

 2017年は、安倍農政転換への第一歩を踏み出す年です。元東京教育大学教授で元農業・農協問題研究所理事長の暉峻(てるおか)衆三さんに戦後農政を振り返り、安倍農政の問題点やこれからの農民運動の展望について語っていただきました。


 食料安全保障の観点で考える

画像  安倍農政の問題点を考える場合、日本の食料・農業問題で私たちがいま大局的にどういう位置に立っているかをみることが大事です。その際に重要なことは「食料安全保障」の観点で考えることが大切です。いま街中には、色とりどりの食品があふれているようにみえます。しかし、実際には日本の「食料安保」の基盤はきわめてぜい弱で、安倍政権のもとでの食料政策は、TPP承認など「食料安保」の基礎をさらに危うくするのはまちがいありません。

 食料安保とは、「国民が良質で、安全かつ安心できる食料を、相応の価格で不足なく安定して手にいれることができる状態にあるか、そして、その食料の主要部分をその国の農業生産力が支え、国民に安定的に供給できる状態にあるか」という点から判断されます。

対米従属のひずみの下でも
農業所得・生活の向上を実現

 食料安保は、食料自給率(自給力)という点からも評価されますが、日本の食料自給率はいま40%と国際的にも最低レベルです。食料安保の基礎を危うくしてきた歴代自民党農政は、自給率45%または50%への引き上げを政策目標に掲げてきましたが、1%たりとも向上を実現したことはなく、政策的に失敗を重ね、それが彼らの弱点にもなっています。

 次に、日本の食料・農業問題の歴史的推移と私たちが今日どういう位置に立っているのか、その課題は何かを大ざっぱにみていきます。その場合、戦後農政を1945年から高度成長期を迎えた60年代までの第1期、そしてそれ以降今日までの第2期の2つの時期に分ける必要があります。

 高度経済成長期農業と農政は…

 第一に、日本は敗戦を経て、平和・人権・民主主義を基調とする日本国憲法が制定される一方、軍事・経済・農業大国であるアメリカに占領され、その後、安保条約が結ばれ、アメリカに軍事・経済での協力の義務を負わされる、対米従属・依存国家になりました。

 経済分野では、旧財閥系の大企業が温存された財閥解体、家族経営を基盤とした自作農体制がつくられた農地改革、労働基本権が確立された労働改革が行われました。さらに「冷戦体制」下でアジアの工業国として自動車、電気機器、鉄鋼、化学工業などがめざましく発展し、農村から大量に流出した勤勉で低賃金の労働者が経済の回復・発展に貢献し、日本は世界が目を見張る成長を遂げました。

 給食や家畜飼料 対米依存が進む

 この高度経済成長期の農業と農政はどう展開されたのでしょうか。

 まずみておかなければならないことは、その出発点からひずみがあったことです。戦後の食料不足の下でアメリカは過剰農産物を抱え、その処理のために対日食料援助政策を展開しました。麦は国内での増産が放棄され、アメリカからの輸入に依存し、米麦二毛作が消えました。学校給食は、対日援助と結びつき、脱脂粉乳、パン食が普及し、食の洋風化が進んでいきました。アメリカで大量生産されているトウモロコシを中心とした飼料用穀物が真っ先に無関税で輸入自由化され、家畜の飼料も対米依存が強まりました。日本の畜産はもともと土地の利用を基礎に実施されていましたが、アメリカからの飼料に依存した加工型へと姿を変えていきました。

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アメリカ農産物の輸入自由化をねらって対日食糧戦略の一環として各地で運行されたアメリカン・トレイン(1988年)

 さらに人口増と都市への人口集中、賃金の上昇による農産物市場の拡大の下、1961年に「農業基本法」が制定され、それに基づいた農政が展開されました。農業の担い手は、戦後の家族経営を基軸とした自作農体制による一方、零細農民を離農させ、余った土地を流動化させ、「自立経営」を育成して中心的担い手にしようとしました。

 米・畜産・果樹 増産と価格支持

 こうしてひずみをもちながらも(1)米の増産を図り、自給体制が確立された(2)土地利用型から加工型畜産への転換のもとでの振興(3)かんきつ、リンゴなど果樹作の振興(4)蔬(そ)菜園芸作物の振興――という4つの柱を中心に農業生産も増加していきました。加えてこれらの農産物の増産、自給率向上のために米や酪農の価格支持政策がそれなりに強化され、農民の価格要求が政策に一定反映されていきました。さらに重化学工業の発展で、高性能の農業用機械が提供され、70年代からは稲作の機械化一貫体制が強化され、化学肥料、農薬の利用も増えました。

 要求運動を展開 希望をもって励む

 農民はこの時期、農産物価格支持の要求運動を展開しつつ、食料増産に励んだ結果、不十分ながらも農業所得向上、生活の向上を実現しました。戦後日本農業のなかで農民が一番希望をもって増産に励んだ時期だったといっていいと思います。

 他方で、農薬や化学肥料の大量投下の結果、食の安全・安心を危うくする事態が発生し、ここから食の安全・安心を願う消費者運動も展開されるようになりました。農民もそれに応えて、安全・安心の農産物を提供する「産直運動」を始め、これが農民連の運動へとつながっていきます。

 こうして日本農業がひずみをもちつつも、60年代には食料自給率は約80%(カロリーベース)と大部分が自給され、食料安保の基盤がそれなりに強化されていったのです。

(つづく)

(新聞「農民」2017.1.23付)