新聞「農民」
「農民」記事データベース20170410-1258-07

福島原発事故から6年

いずれは必ず福島に
帰りたい。だけど…

愛媛県に避難した
渡部寛志さん、直美さん夫婦

 東日本大震災・福島第一原発事故から6年。福島では4月から多くの避難指示区域が解除されました。全国各地の福島からの避難者は、どんな思いで6年目を迎えたのか。事故後に愛媛に避難した渡部寛志さん(38)、直美さん(34)夫婦に今の思いを聞きました。


 「あっという間の6年でした」――。寛志さんは振り返ります。当時、小学校の入学を控えていた長女は中学生に、次女は小学3年生に、愛媛で生まれた長男は4歳になりました。

 2011年3月に福島県南相馬市で震災・原発事故を経験。4月に大学時代を過ごした松山に避難し、8月にいまの伊予市に移転しました。

 福島では米、養鶏、野菜づくりが主流でした。愛媛に来てからも米、養鶏をやりつつも、ミカン・かんきつの栽培に取り組み、原発事故の避難者に対する高速道路の無料制度を利用して年に10回ほど収穫したミカンをトラックに積んで、福島に届けています。「福島の子どもたちに食べてもらいたいという思いと、ふるさとがどうなっているか確かめるためです」

子ども達を安心して
土に触れさせたい

 いずれは福島に帰りたい――。寛志さんの気持ちは揺るぎません。しかし、盛んに国は福島への帰還を促しますが、除染が進んでいるのは宅地と農地、道路だけ。子どもたちを安心して土に触れさせられるにはまだまだです。

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伊予市の自宅の前で(左から)寛志さん、長男の寛助君、直美さん

 損害賠償も今年7月で打ち切りになります。

 寛志さんは、愛媛に来てから、福島からの避難者が立ち上げ、交流を目的としたNPO法人「えひめ311」の活動、避難者損害賠償裁判、伊方原発運転差し止め裁判など、農業以外でも多忙を極めています。特に近くにある伊方原発に対しては、「福島の二の舞になるのでは」と危惧しています。「愛媛は、平たんな福島とは違い、山や谷が多く、道路も狭い。原発事故が起これば福島以上に悲惨なことになるのは明らかだ」

 一方、妻の直美さんは、愛媛での生活について、「溶け込めないところもある」としつつも、「子どものことを考えたら、愛媛で農業を続け、ケーキづくりもやりたい」と、定住を希望しています。

 寛志さんも帰還への展望をもちつつ、当面は、愛媛に住み農業を続けることを決意しています。

被害の当事者として
運動強めようと決意

 この間、原発をめぐる訴訟の判決が相次ぎました。3月17日には福島第一原発事故で福島県外に避難した住民らが国と東電に損害賠償を求めた訴訟の判決が前橋地裁であり、国と東電の責任を認めて総額3855万円の支払いを命じました。

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ミカンの選別作業をする(左から)次女の明理さん(8)と長女の明歩さん(12)=2月5日

 原発の運転差し止めを巡っては、大阪高裁が28日、高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の運転を差し止めた大津地裁の仮処分決定の保全抗告で運転再開を認める判断を下し、伊方原発3号機の運転差し止めを求めた仮処分の申し立てで、広島地裁は30日、住民側の訴えを退けました。

 寛志さんは次のようにコメントしています。「前橋地裁の判決については、国と東電の責任を認めたのはよかったのですが、賠償額が低く、賠償が認められなかった人もいたのは課題です。運転差し止めを認めない両判決については、福島の悲惨な体験を踏まえない不当なものです。各地で原発をとめる運動が続けられていますが、私も福島の当事者として発信し、運動を強めようと決意しています」

(新聞「農民」2017.4.10付)
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