新聞「農民」
「農民」記事データベース20180618-1315-19

ふるさと
よもやま話

宮崎県農民連会長
有田辰二


80歳はまだまだ若い!
お互いごてに気をつけて

 今、宮崎は「黒霧島」などの焼酎甘藷(かんしょ)の植え付けと、普通作の田植えで一番忙しい時期です。

画像
田植えをする有田さん

 農民運動の歴史きいて

 昨年末、宮崎県農民連前々会長の小田治さんの卒寿のお祝いをしました。県内の農民運動に携わった人もたくさん参加し、戦後の農民運動の歴史も聴くことができました。宮崎赤江の砂浜の開拓の取り組み、海岸保安林伐採反対闘争で知事室に座り込んだことなどです。

 宮崎市のある人がとある会合で、「私ももうすぐ80になるので、そろそろ役員を降りたい」と言ったら、「何を言っているのですか。小田さんは90になっても、早朝に新聞を配ったりして。がんばっているのですよ」と相手にされなかったというエピソードも生まれています。

 今、終活(人生の終わりのための活動)のことが話題になっていますが、私に年配の人から、「田を買ってくれ」という話と、「山手の田を10アールあげるから」という話があり、昨年は田が45アール増えました。今年になっても、大阪の親せきから「田を買ってくれないか」という電話も。私はまだまだ現役でないといけません。

 私の世代(昭和27年生まれ)が終活の話をすると、小田さんに怒られそうですが、地域でやらなければならない課題はたくさんあります。えびねランのお花畑で遊んだ豊かな農村を守ること。そして戦争を知らない世代ではあるが、戦争の話を聞かされた世代として戦争の愚かさを伝えて、二度と戦争をさせない運動をしていくことです。

 戦争の話を語り継がないと

 私の住んでいる都城市山田町は、長崎の原爆で亡くなった「ふりそでの少女像」のモデルになった福留美奈子ちゃんの生まれた町です。長崎原爆資料館の屋上庭園にある「ふりそでの少女像」の墓前祭に参加したりしています。

 また、都城は、特攻基地のあった所で、空襲でたくさんの人が犠牲になっています。旧制都城中の山田の4人の1年生が亡くなった話などは、私たちが語り継がなければと思っています。

 今、「西郷どん」が放送中ですが、都城、小林、えびのの各市などは、島津藩に属しておりました。言葉もさつまことばです。藩政時代、島津は一向宗、浄土真宗を禁止。私の父は亡くなるまで「内場仏飯講」というかくれ念仏の組織を、小林、高原、山田の人たちと継承していました。

 厳しい弾圧は、「かくれキリシタン」が有名ですが、「かくれ念仏」の弾圧はまだよく知られていません。力ずくでは庶民・農民の「こころ」は支配できません。沖縄の基地闘争も、そうでしょう。

 お互いにごて(御体)に気をつけ、きばっと!

 今回はこのへんでヨカロカ!

(新聞「農民」2018.6.18付)
HOT情報
写真