もの作る喜びでいっぱい
ネパール農村での活動体験を経て
茨城で新規就農した保田宗忠さん(30)
がっちりとした体格にさわやかな笑顔。農業の後継者不足がさけばれるなか、三十歳の新規就農した青年は国際派。保田宗忠さんは、ネパールで足かけ二年にわたって、農村開発のNGO活動を行い、農業の大事さを実感し、一昨年、茨城県阿見町で就農しました。「実際に畑で野菜を作ってまだ二年目。仕事の流れがわかった程度だけど、ものをつくることは本当にすばらしい」と語ります。
激変するネパール農村の実態
大学で国際関係学を専攻して卒業後、専門学校で学び、ミクロネシア連邦のポンペイ島で、農業コンサルタントとして半年ほど働き、後に結婚した文子さんと二人でネパールに渡りました。
ネパールは、国土の八三%が山岳か丘陵地で、カースト制が根強く残る国。国民のほとんどは農民で、自給的な生活をしています。
保田さんは、農村で、ここ十年間の変化について、聞き取り調査を行いました。その結果は、食べ物の変化をあげる人が最も多く、外国から入ってくるインスタントフード、ビスケット、米、豆などが増えました。現金収入の必要性から、都市や国外へ出稼ぎに行く村人も多くなっている実態が浮かびあがりました。
「実際にネパールの自給率は下がっていて、隣のインドから米などを輸入している。現金を求めて多くの若者が農村を去り、中近東に出稼ぎに行く。アフガニスタンに行き、雇い兵として、危険な最前線に配備される若者もいる。後継者不足や輸入農作物による食文化の変化は深刻な問題」と保田さんは言います。
また、NGO活動の一環として「持続可能な農業トレーニング」を行い、現地の人々の貧しさとカースト制度からくる差別も肌で感じました。「多くのアジアの人々が、理想的なモデルとして日本の農業を見習う傾向があり、日本がアジアに与える影響力は非常に大きい。日本が食料の輸入を拡大していくと、アジアから農村がなくなっていくのではないか」と保田さん。
新規就農資格のカベ乗り越え
日本に帰ってきて隣の美浦村でアルバイトをしながら、農地を探し、野菜作りを学びます。そんなある日、偶然、阿見町で農業委員をしていた県南農民組合リーキ部会長の飯野良治さんに声をかけられたのが幸運でした。
しばらくして飯野さんと再会し、阿見町の新規就農者支援対策事業を知り、何度も農業委員会に足を運び、一昨年の五月に認定されました。
阿見町の新規就農者支援事業は、認定された人に、毎月十万から十五万円の補助金を支給。しかし、就農を希望する人は、農業経験が必要で、独身者は三十五歳以下、既婚者は四十歳以下であり、認定された後十年以上町内に住むことが条件。加えて、保証人として阿見町で農業を営む人の推薦が必要です。保田さんの保証人には飯野さんがなってくれました。
畑も、飯野さんが仲介してくれ、借りることができた八反歩。良く耕されていて、日当たりも良く、すばらしい畑です。その畑で保田さんは、小松菜やホウレンソウを栽培し、主に土浦市場に出荷します。
農業守る新たな決意こめて
「地元の保証人をあっせんし、学習会を開くなど、新規就農を希望する人を組織的に応援していくことが大事。共同して栽培し、出荷することで経験不足を補う。お互い助け合っていけば、やがて信頼も芽生え、新たな組織を作るいしずえになるのでは」と、新規就農支援事業を評価しつつ、改善の方向を示す保田さん。
収穫を迎えた鮮やかな緑色に輝く小松菜を手に取り、自然に顔がほころびます。ネパールで農業の大切さを感じ、農業を守っていこうと決意した若者は今、日本の大地にしっかりと根をおろし、一歩一歩確実に前進しています。
(新聞「農民」2005.1.3付)
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