原爆稲行脚
新潟市役所→永平寺(福井)380キロ
青年らのチーム名は「きずなびと」
平和を願う心届けたい
長崎で1945年に被爆し、その後植え継がれている原爆稲。この原爆稲を新潟市から福井県の永平寺までの380キロを行脚して届けようと、青年たちが取り組んでいます。新潟を元気にしようと結成された新潟青年協力隊の有志は、GNDFund(世界核兵器解体基金)新潟協力センターの支援を受けて行脚を決行中。チーム名は「きずなびと」と名づけられ8月8日に到着予定です。
7月26日には、新潟市役所前で出発式が開かれ、100人を超える応援団が集いました。新潟大学の音楽サークル「ミューズ」によるアカペラ、地元出身のミュージシャン、「彩*音」(あやね)さんが、きずなびとのために作詞・作曲した歌「こころ」が披露され、参加者を激励しました。
「きずなびと」の実行委員長、谷口博幸さん(31)=新潟青年協力隊隊長=が「8日のゴールまで、参加した人たちがどれだけ成長しているか、どれだけ参加の輪が広がっているか楽しみです」とあいさつしました。
6月に新潟市内で田植えが行われ、50センチほどに成長した原爆稲。
稲を提供し、栃木県上三川町から家族3人で駆けつけた米農家、上野長一さんは「原爆稲は食べる夢、人に心を伝える夢があります。この稲の持つきずなによって、心の中に、平和の輪がはぐくまれることを祈っています」と激励しました。「平和を願う心が、人と人とを結びつけ、稲が届けられるというのは、百姓みょうりにつきます」と、上野さん一家はこの日、新潟県燕市まで、一緒に歩きました。
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原爆稲の説明をする上野さん(右) |
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永平寺まで元気に行脚! |
参加者は、横断幕の寄せ書きに、それぞれの思いを書き込み、元気に出発しました。「400メートルでもいいから参加したかった」と言う袖山裕之さん(30)は「戦争の悲惨さを訴え、共感を広げたい」と話しました。
大学4年生の佐藤智徳さんは「学生最後の夏休みに何かしたいという思いで歩いています。平和の願いが少しでも届けば」と語っていました。
GNDFund新潟協力センターの小林英雄事務局長は「子どもや孫の世代まで平和をつないでいきたいと思って、上野さんから原爆稲を提供してもらいました。今後は、ピース米として世界に発信していきたい」と行脚を見守っています。
(新聞「農民」2009.8.10付)
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