検 証
八ッ場ダムは本当に必要か(1/2)
関連/検証/八ッ場ダムは本当に必要か(2/2)
民主党の前原誠司国土交通大臣が中止を表明した群馬県長野原町に建設予定の八ツ場(やんば)ダム。「一刻も早く解決してほしい」と地元住民の思いは切実です。ダム問題の核心は何か? 水没予定地だった川原湯温泉ゆかりの人々の思いは――。
(勝又真史)
“一刻も早い解決を”
地元住民の思い切実
ダム建設のきっかけは、1947年に首都圏を襲い、死者1100人を出したカスリーン台風。「洪水からくらしを守り、首都圏の水需要を確保」するというのがダム建設の名目です。
52年に当時の建設省が長野原町でダム建設調査を開始しましたが、地元住民の反対運動が大きな盛り上がりをみせました。しかし86年に建設省が2000年完成をめざして八ツ場ダム基本計画を提示。92年には町、県、国の3者が「用地補償調査協定書」を締結し、住民は、建設受け入れを余儀なくされました。
94年からダム付帯工事を開始。2001年に、完成を2010年に延期し、03年には、事業費が当初の2110億円から倍以上の4600億円に。さらに08年には、完成予定時期が2015年に変更されました。
喜んで土地を離れた人は誰もいない
無認可保育所「こころ苑」施設長・霜田初子さん(60) ダム建設中止を聞いて、「神様、間に合いました」と心から喜びました。町から出て行った人も、喜んで土地を手放した人は一人もいません。
ダム建設に伴う道路の拡幅工事で立ち退きを余儀なくされて、長野原町の北軽井沢地区に移り、補償金を元手に無認可保育所「こころ苑」を開所して7年になりました。
父は、運送屋のかたわら、畑で大麦、小麦を作っていました。当時は、畑に行くことを、「ヤマに行く」と言って出かけていったものです。
子どものころ、おばあちゃんが、かごを背負って畑に行く姿が、あまりにもきれいで、今思い出しただけでも涙が出てきます。
子どものころを過ごした田んぼや畑を水の中に沈めてはいけない。祖父母も母も…そして父は昨年89歳で亡くなりました。私が先祖代々の墓に入るときに、「心の再生という構築」をもって逝きたい、と新しい空を見上げました。
町も農業の振興に力を入れてほしい
豊田乳業・豊田利之さん(28) 川原湯温泉街を見下ろす小高い丘に、牛乳加工工場が建って約30年。農協の牛乳加工施設が閉鎖になり、今では、町で唯一の乳業工場となってしまいました。工場の敷地の一部が、JR吾妻線の付け替え用地になっていますが、用地の売却を拒み続け、今年の6月には敷地内に新工場が完成しました。
生まれも育ちも、川原湯ですが、昔に比べて住民は、2割ほどに減ったと言われます。きれいな水質のワサビ田が、付け替え工事の影響で、水質が悪化し、ワサビがだめになってしまった地区もあります。
ダム中止は当然の流れです。町としても、コンニャクやワサビなど山間地に適した農業を振興したり、北軽井沢の豊かな農産物の加工・販売に力を入れたりなど、町の再建策はいろいろあると思います。
(新聞「農民」2009.11.23付)
|