鹿野新農相にもの申す
山形
農業に目と鼻をつけてください
旧藤島町・元町議会議長 太田榮市さん
いつもならコンバインのエンジン音が響く山形・庄内平野も、あの夏の晴天続きが恨めしいほど、収穫の秋を迎えての雨続き…。降りしきる雨に倒伏した稲も散見され、猛暑の影響とあわせて品質低下も心配で、農民の心は農協の概算金の大幅下落とともにすさんでいます。
旧藤島町で町議会議長も務められた太田榮市さんが、内閣改造で新しく農水大臣になった鹿野道彦氏(山形1区選出)にあてて、自分の思いをはがきに書いて出したというので、庄内農民連の元事務局員・青山崇さんの案内で、今の農政への思いについて話を聞きに自宅へ伺いました。
ワッパ騒動*に学び、米価引き上げ大運動を
「農」の一言さえも
太田さんは、数年前に県選出の自民党国会議員の演説会を訪れた時、その議員も応援弁士の口からも「農」の一言さえも出なかったことに深く憤りを覚えるとともに、農業の衰退の危機感を一層強く感じたと言います。いま太田さんが地域を歩いて農家と話をすると、「概算金が9000円ではダメだ」と、心から農民が挫折し始めていることをヒシヒシと感じると言います。「こうしたときこそ、市議や県議、国会議員などその立場にある人たちが、住民の声に耳を傾け、幸せのために仕事をしなくてはならない」と太田さんは厳しく言及し、「いまの農村がどうしてダメになってきたのか、責任をしっかり問わなければならない」と述べました。
仲間に呼びかけて
鹿野大臣へのはがきには「農業に目と鼻をつけてください」と書いたそうです。その思いについて太田さんは、「農業は惨憺(さんたん)たる状況で何にも形が見えなくなっているので、しっかり農業が目鼻をつけた形の見えるものにしてほしい。継続性を持って農業が続けられる政策にしてほしいという思いを、大臣自身が読んで感じ取ってもらえば良いが…」と言います。太田さんは「いま自分にできることをしただけ」と述べ、「地域に起きた明治時代の農民のたたかい『ワッパ騒動』に学び、農民の生の声を届ける手段としてはがきを地域から選出された国会議員に出す運動もあるのではないか」と提案。「自分は思いを同じくする仲間に1人10枚ぐらいずつはがきを出すことを呼びかけようと思う」と熱く語ります。そうした中で、太田さん自身も「27歳の孫にしっかり農業を継いでもらいたいが、なかなかこうした状況ではできない」と表情を曇らせました。
消費者といっしょに
同行した青山さんは、「今の世の中は安ど感がなくなった」と言います。「農村地域の基盤である米価の暴落で農家が暮らせなくなり、その影響で地域経済が疲弊し、失業者と非正規労働者が増加し安心して暮らせない状況が広がっている。その姿を見て育つ子どもたちへの影響も計り知れない」と述べます。「いまたたかう農民組織は農民連しかない。日本の農業、米の問題は、農民だけでなく消費者の問題として一緒に運動を大きく起こさなくてはならないのでは」と私たちの運動を鼓舞しています。
太田さん、青山さんはともに1932年生まれの78歳。先達の思い、そして米づくりとともに庄内の地域に刻まれてきたたたかいの歴史を、いま引き継がなければならないとあらためて確信しました。
(山形・庄内農民連 菅井巌)
* 「ワッパ騒動」 維新政府が1872年(明治5年)に「租税をコメでなくカネで納めてもよい」と布告した。しかし、当時の酒田県は布告を県民に知らせず、コメで納付させ、当時、コメの値段は年々高騰を続けていたので、県にはばく大な差益金が手元に残った。この不正なやり方を知った農民は怒り、「納め過ぎた額を取り戻せば、百姓一人ひとりさワッパ(曲物で作った弁当箱)一杯の金が返るぞ」を合言葉に立ち上がったと言われ、「ワッパ騒動」として知られている。
(新聞「農民」2010.10.11付)
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