農機具倉庫・鶏舎流され、
|
![]() |
津波で海水の湖と化した水田地帯(宮城県東松島市) |
地元には原発や原発関連企業で働く人も多く、避難所では炉心のメルトダウンなど、もっと深刻な事態を不安視する声や、人命より原発設備の延命を優先する東京電力と政府への強い怒りの声でいっぱいでした。
原発事故は、地震や津波などの「天災」ではなく、「人災」です。「原発の地震・津波対策が弱い」という声がずっとあがっていたのに、安全神話を繰り返すだけで対策を強化しなかった東京電力にも、国策として原発建設を強行してきた政府にも、「怒り」という言葉では納まらない、強い憤りを覚えます。
浜通り農民連も相馬市で事務所を再開する準備を進めています。
いま、私と妻は4月から東京で就職することになっている長女のアパートで、両親と長男と犬2匹は伊達市のいとこ宅で、避難生活を送っています。ガソリンが手に入り次第、相馬に戻り、復興活動の拠点作りに奔走しようと思っています。全国の仲間のご支援、ご協力をよろしくお願いします。
地震当日、税金の申請をする矢先でした。大きな揺れが収まり、ほっとする間もなく、「大津波が来る」というラジオ放送を聞きました。急いで、じいちゃん、ばあちゃんを避難させ、私も車で市役所方面へ、できるだけ海岸から遠いところに避難しました。
家族が無事だったのは何よりでした。しかし家とハウスは津波ですべて流されてしまいました。畑は海水に沈み、今は磯辺のようになっています。直径30センチほどの木もすべてなぎ倒され、砂漠に水がたまっているような状態です。
300人の集落のなかで、いまだ4分の1ほどの行方がわかりません。もうここで農業を営むのは困難でしょう。先が見えず、何から手をつけたらいいのかわかりません。これからは現実を踏まえて生きていかなければなりません。
今は仙台市内のアパートで避難生活をしていますが、インスタント食品でなく、新鮮な野菜や果物を口にすると、農業は最高の職業だと改めて思います。
できることなら、30代の息子に再び農業をやらせてあげたい。希望する人には、農業に再び携われるような施策を行政に強くお願いしたい。
[2011年4月]
農民運動全国連合会(略称:農民連)
本サイト掲載の記事、写真等の無断転載を禁じます。
〒173-0025
東京都板橋区熊野町47-11
社医研センター2階
TEL (03)5966-2224
Copyright(c)1998-2011, 農民運動全国連合会