「農民」記事データベース20110425-970-03

白石地震対策本部長

大津波で壊滅的被害の
陸前高田(岩手)を行く

関連/喜ばれた特産「千両茄子」


“農民連の米・野菜助かっている”
被災者と心一つに支援広げよう

 4月6日、全国から寄せられた米や野菜、日用品などの救援物資を積み込み、全国連副会長の堂前貢さんの車に同乗し、地震と津波で大きな被害を受けた陸前高田市に向かいました。

 最初に訪れた前市長の中里長門さんのお宅は、沢の奥まった高台にあり、津波の被害を免れていました。しかし、川をさかのぼった津波は、住宅の目の前まで到達し、がれきを運んできました。今でも行方不明者の捜索活動が続いていますが、津波は海岸から8キロメートルも内陸に到達している所もあり、その大きさと破壊力のすごさに驚くばかりです。

 間一髪命拾いした人もいた

 高台にプレハブを設置して救援物資の受け入れを行っている支援センターで救援物資を下ろし、中里さんや救援に駆けつけている皆さんから「農民連の支援物資、とりわけ野菜やお米でたいへん助かっている」と、お礼の言葉が寄せられました。

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支援センターの前で右から堂前さん、白石さん、中里さん、藤倉さん

 市街地はがれきの山で、市庁舎も病院も消防署も商店街も住宅もあとかたもなく津波で破壊されていました。農民連が昨年12月に東北ブロック会議を行ったキャピタルホテルは、外観こそ残っているものの内部は破壊され、海岸淵(ふち)にあった松並木は完全に姿を消していました。鉄筋コンクリート5階建てのアパートでは、4階まで津波が突き抜けていました。地元の市議、藤倉泰治さん(日本共産党)はその時、「津波が押し寄せる海の方は煙がもうもうと立ち上り、まるで大規模な火事が押し寄せてくると錯覚するような光景だった。助かった人たちも間一髪で命拾いをした」と、恐怖の体験を語りました。

 復興へ尽力の姿に頭下がる

 仮の市庁舎を訪ね、全国から寄せられた義援金を渡し、お見舞いしました(あいにく市長さんが不在のため総務部長が対応)。市職員の3分の1の方が亡くなったり行方不明になっているなか、自らも奥さんを亡くされている戸羽太市長を先頭に、救援・復興へ向け全力を挙げている姿に頭の下がる思いです。いち早く仮設住宅の入居が始まったのも、想像を絶する困難のなかで奮闘されているこうした努力があったからこそ実現できたのでしょう。

 被災地への支援はまだまだ必要です。全国のみなさんが被災地と心を一つにして、支援の輪をさらに広げていただくよう心から訴えます。

(白石淳一)


喜ばれた特産「千両茄子」

JA岡山興除なす部会が協力
岡山県農民連が被災地へ運ぶ

 岡山県農民連は3月25日、坪井貞夫会長ほか3人が、米、なすなどの野菜、日用品などを3トントラックに満載にして、岡山市から埼玉県の中継基地倉庫まで、夜どうしかけて運びました。

 被災地では、食材として岡山特産の「千両茄子(なす)」がたいへん喜ばれたということで、第2便でも4箱を送りました。この「千両茄子」は、JA岡山興除(こうじょ)なす部会のみなさんのご厚意によるものです。

 県連の坪井会長は4月7日、「なす部会」のみなさんにお礼に行きました。取りまとめてくれた農民連会員の植田豊さん(61)は、「農民連の要請で、被災地のみなさんに何か喜んでもらえるものはないかと考え、なすを送ることにしました。部会のみなさんに声をかけたところ、快くこたえてくれてたいへんうれしかった」と話していました。また、峰松貴純さん(28)は「1日も早い復興をのぞんでいます」というメッセージを寄せてくれました。

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前列中央が植田さん。その右となりが坪井さん。後左から3人目が峰松さん

 岡山県農民連では、今こそ「国民と農民の苦難あるところ、農民連あり」の真価を発揮しようと、すべての会員が何らかの救援活動に取り組もうと呼びかけています。

(岡山県農民連 秦明美)

(新聞「農民」2011.4.25付)
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2011年4月

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