“相あい倚より 村をなし”
栄村(野長)を訪ねて
「われら相倚り村をなし」(村歌)―農民運動などで長年お世話になった栄村(長野県)へ、震災のお見舞いにやっと訪れることができた。
一人でも離村しないように
「一人でも離村しないように」「どんなに小さな田んぼでも全部復旧する」というのが村の決意だと、広瀬進さん(農民連会員)は語る。その村の決意が復旧の具体化に現れている。
飯山市へ避難している村民は高齢者で、もう家の再建などできないし、子どもたちも「こちらに住んだら」というケースもあったらしい。
そういう人たちのために村営住宅を建てるという。それも仮設住宅や長屋のようなものでなく、独立した家屋で、しかも「以前から近くに行き来してきた人たちが離れ離れにならないように」という構想だという。この寒村で、この被災の中で!
「こんなことができるなら、いまの日本の力をもってすればなんでもできる!」―聞いていて涙の出る思いであった。
ごく身近な村の実情だった
そういえば震災直後に電話をしたとき「深夜未明の地震だったが、一人の死傷者もなく前から決まっていた避難所にのがれた」と聞いた。一番ひどかった横倉の広瀬さんは、「あれを持ち出さなければ」というすぐ近くのお年寄りを「ぐずぐずしているとあぶない!」といって無理やり引っ張り出したが、直後に家は崩壊したという。 広瀬さんは事故で足を痛めて不自由な体の人なのだ。「われら相倚り 村をなし」は単なる歌でなく、ごく身近な村の実情だったのだ。
田直し事業の歴史と蓄積
「トマトの国」という温泉つきの宿泊・研修施設がある。そのすぐ際に土石流を防ぐ大きな土のうが積まれており、そこから山が崩れおちた震源地をみることができた。田んぼは亀裂で惨たんたる状態である。広瀬さんは「田んぼの1割しか田植えができなかった」という。
どうしたらこの復旧ができるのか?――前村長の高橋彦芳さんはこともなげに言う。「田直し方式でできる」と。村には重機を持った人が何人もいる。上からの復旧でなく、この方式なら個人負担はごく軽くてできるだろうという。
災害に強い自治体とは、ふだんから医療・福祉・農林業を大事にすることと表裏だと実感した。
(小林節夫)
(新聞「農民」2011.7.18付)
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