鳴子温泉「農民の家」(宮城)で
感謝の集い
避難した人、支援続けた人ら
“漁師料理”囲み再会喜ぶ
宮城県東松島市の沿岸部で地震と巨大津波に襲われた住民は、大崎市の鳴子温泉にある「農民の家」を避難所にして共同生活を送り、その後各地の仮設住宅に分散して生活をしてきました。そのみなさんが、大震災から13カ月後の4月11日、「農民の家」で再会しました。
この会は、この間、支援にかかわった人たちにも呼びかけ、「感謝の集い」として開かれたもの。行政関係者らとともに、支援を続けた農民連にも呼びかけられ、宮城農民連の鈴木弥弘事務局長や同じ被災地の矢本農民連のみなさん、農民連本部から私が参加しました。
「農民の家」に避難した住民のなかには沿岸部で漁師を営んでいた人たちが多く、この日はカニ、カキ、天然のワカメなどをふんだんに使った「漁師料理」を囲んで、再会を喜びあいました。
各地から集まったみなさんは「やあ、しばらく」「元気だったか」などと声を掛け合い、“避難村”の“村長”だった土佐勝郎さんも「みなさんの支援のお陰でここまできた。大変でもお互い顔を見れば元気も出る」とあいさつしていました。
「集い」に合わせて長野県農民連の竹上一彦会長はじめ上伊那農民組合のみなさんも駆けつけ、餅(もち)つきを実演。“つきたて”“アツアツ”のおもちを提供しました。また、北海道や静岡県などの農民連産直組織から支援物資が送られ、地元の米などとともに参加者に手渡されました。
夜の懇談では、「船もなく漁業再開のメドがたたず、どうしたら良いかわからない」「せっかく生き残ったカキも風評被害でまったく売れない」などの声も聞かれました。しかし、大きな困難を抱えながらも和気あいあい、歌あり踊りありの楽しいひとときを過ごしました。
宮城の被災地へ自動車2台贈る
長野県農民連
餅つき支援に合わせて、長野県の仲間から軽トラックのダンプとワゴン車が被災地に届けられ、矢本農民連の会員に手渡されました。全国各地から届けられた車は、これで合計13台にのぼります。「すべてを流され、移動も買い物もできない会員に車の提供を」との宮城農民連の呼びかけに応えたもので、矢本農民連の三浦勝志会長は「会員みんなに行きわたり、本当に助かった」と話しました。
車を提供した上田輪業(駒ケ根市)の上田正さんは「お役に立ててうれしい。軽トラックの在庫はまだあるので実費程度で提供できる」と話しています。
(農民連ふるさとネットワーク 横山昭三)
(新聞「農民」2012.5.14付)
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