21世紀水産を考える会フォーラム
ビキニ事件の真相と
福島原発の今後の対応
〈上〉
太平洋被災支援センター事務局長
山下正寿さんの基調講演
「21世紀の水産を考える会」が11月9日、東京都内でフォーラムを開き、太平洋核被災支援センター事務局長の山下正寿さんが、「ビキニ事件の真相と福島原発の今後の対応」をテーマに基調講演しました。その要旨を紹介します。
ビキニ事件
多くの船・海洋汚染の事実を
日米が国家機密として隠ぺい
私は高知県立高校の教員時代から28年かけて高校生とともにビキニ水爆実験被災船員の調査をしてきました。ビキニ水爆実験については、日米両政府で政治決着したために、両国で国家機密として伏せられています。今回はそのビキニでの海洋汚染と併せて、福島原発事故での調査やいま問題になっている汚染水の問題についてお話ししたいと思います。
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フォーラムで講演する山下さん |
被爆したのは福竜丸以外にも
1954年3月1日から5月13日の間、マーシャル諸島や、ビキニ・エニウェトク環礁では、あまり知られていませんが6回もアメリカの水爆実験が行われました。有名な第五福竜丸のほかにも、3月から12月で1000隻を超えるマグロ船が汚染マグロを廃棄したり、船体汚染したりしています。
被災した船の船員は、今はほとんどが亡くなっています。それも普通の亡くなり方ではない。船員は睡眠時間4時間で20日間の操業に耐えられる、頑強な海の男です。それが、非常に若く、早い人では40代から60代くらいまでに、おもにがんや心臓発作で亡くなり、生き残った人も重度の病気を抱えています。
高校生と高知県内の14漁村を調べましたが、すべてに水爆実験を見た、あるいは「死の灰」を浴びた、マグロを捨てたという体験者がいて、それくらい、ビキニ水爆実験は非常に根の深い、大きな、歴史的事件だったのです。それがなぜ第五福竜丸だけになってしまったのでしょうか。そこには今の福島原発事故に通じる真実の隠ぺいがあります。
予想を上回る「死の灰」の飛散
当時、水爆実験が行われた海域では、第五福竜丸のほかにも多くのマグロ船が操業していました。その3分の1が高知県の船でした。これらの船には、おそらくデータ収集のためだろうと思いますが「海水をくんでこい」という通知はあっても、「危険だから帰ってこい」という指令はありませんでした。だから、6回の実験のたびに重なっていく放射能汚染のなかで、操業が続けられていたのです。さらに船員たちは海水の風呂につかったり、マグロやカツオの内臓を塩辛にして食べたりして、内部被ばくもしていました。
被災船の分布を調べると、放射能はアメリカの予想をはるかに超えて広く飛散し、アメリカにも風に乗って日本の5倍の「死の灰」が降りましたが、アメリカ国民には水爆実験が知らされていないので、いまだにこの事実を知りません。当時、アメリカ占領下にあった沖縄でもガイガーカウンターすら渡されず、何も知らされませんでした。
強引に打ち切り危険はその後も
日本でも高濃度の放射性物質が降りましたが、アメリカは研究者を大量に日本に連れて行き、500ベクレルまでは大丈夫だと主張。当時の鳩山一郎内閣も、事件解決はアメリカのためという姿勢を前面に出し、同年12月、きわめて強引に汚染調査が打ち切られました。しかしそのころに水揚げされたマグロこそ、危なかったのです。
(つづく)
(新聞「農民」2013.12.2付)
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