「農民」記事データベース20150921-1182-15

漁業・漁民のページ

岩手県漁民組合を訪ねて

沿岸漁民にもサケ刺し網漁許可してほしい


沿岸資源はみんなのもの
生活再建へ強い要望

 東日本大震災からまもなく4年半。震災時には岩手県三陸海岸の浦々の漁村にも想像を超える大津波が押し寄せ、尊い命が亡くなり、たくさんの家屋・船が流され、岸壁は沈下し、護岸は破壊されました。この津波の大きな傷跡がどこの浜にもまだ残る震災翌年(2012年)の1月、県北の洋野町から県南の陸前高田までの漁民70人が、「漁業っていいなと若者が思える組織に」「東日本大震災からの復興と漁業の民主化」「自営業者置き去りの県の復興方策を変える」をスローガンに発足したのが岩手県漁民組合です。

 今では、100人を超える漁民組合が、発足当初掲げた運動方針は、漁船漁具の確保、サケ資源の公平分配のためのサケ刺し網の許可、沿岸資源を荒らす底びき網・まき網船の操業制限、コンブ・ワカメの養殖再建、TPPへの参加反対です。

 震災後、大船渡市三陸町で仲間とともに三陸漁業生産組合を立ち上げ、タコかご漁やホタテ・ワカメの養殖、ドンコのかまぼこづくりなどを行っている漁民組合副組合長の瀧澤英喜さんと陸前高田市広田町で漁業のかたわら奥さんと漁師の宿「民宿志田」を営んでいる菅野修一さんを訪ねました。

画像
瀧澤英喜岩手県漁民組合副組合長

 大規模のみ許可 零細漁民は処罰

 瀧澤さんは震災時、かろうじて津波をまぬがれ、震災後は消防団のリーダー役として、捜索活動を開始し、現地を知る者として自衛隊員の捜索配置の指揮まで執ったといいます。捜索活動が一段落した後、生産組合を立ち上げ、「震災当時、全国の農民連の皆さんから大きな支援をいただき感謝している。震災当時の生活困窮の中、最も強い漁業要求となったのが、沿岸漁船漁民へのサケ刺し網の許可を求める声だった」と瀧澤さん。

 岩手県三陸沿岸の漁業では、秋から冬に最盛期を迎えるサケは基幹魚種。しかし、隣県の青森や宮城県とは異なり、大規模な定置網にのみ許可が与えられ、一般漁民には秋サケの漁獲は禁止されています。定置網を営む大規模事業者は、一つは漁業協同組合、もう一つは漁業界の有力者の単独経営体です。

 「一方で大規模な定置網漁で巨額な利益を得る者がいる反面、零細漁民がサケを漁獲すれば処罰される。こんなおかしな取り決めはない。県は漁民にサケを捕らせると資源が枯渇するというが、われわれは各漁民に定置網全体漁獲量の10%程度を津波で生計が困難になった零細漁民に割り当て、沿岸漁民の生活再建に力を入れるよう要求している」と菅野さん。漁民組合では沿岸漁場の水産資源は沿岸漁民すべての共有財産だとして、岩手県に再三許可申請を行いましたが、県の回答は不許可処分。今、漁民組合では行政不服審査法に基づいて農水大臣へ審査請求を行っています。

画像
菅野修一さん夫婦(漁師の宿「民宿志田」で)

 新鮮でおいしい魚料理味わって
 「民宿志田」の菅野さん

 菅野さんの民宿志田は海岸から離れた高台の部落の中にあり、今回の地震では被害を免れました。「大被害をもたらした昭和8年(1933年)の三陸沖地震津波のあとに、部落ごと高台に移転していたのが幸いした」と菅野さん。三陸沿岸は、寒暖両海流が交錯し、昔からおいしい魚が捕れる水産物の宝庫。民宿では、奥さん手作りのウニ、ホヤ、ミズダコ、イカなど新鮮な魚介料理を味わいながらご夫婦からたくさんの三陸漁村のお話をうかがいました。
(全国沿岸漁民連事務局長 にひらあきら)

(新聞「農民」2015.9.21付)
ライン

2015年9月

農民運動全国連合会(略称:農民連)
〒173-0025
東京都板橋区熊野町47-11
社医研センター2階
TEL (03)5966-2224

本サイト掲載の記事、写真等の無断転載を禁じます。
Copyright(c)1998-2015, 農民運動全国連合会