「農民」記事データベース20010108-476-06

伝統工芸 技法継承

江戸押絵羽子板

「秀徳」の四代目 尾崎寛児さん

 だれもが目を奪われてしまうほど、豪華で美しい色彩の江戸押絵羽子板。江戸庶民文化が創り出した工芸品です。この伝統工芸品の技法を守り、製作している尾崎寛児さん(46)。新しい世紀を迎え、伝統を守り発展させようと意欲満々の尾崎さんは、江戸押絵羽子板製作「秀徳」の四代目です。


出来上った瞬間が一番嬉しい

 「この羽子板は三百から三百五十の部品で作った。一つ一つの部品はすべて手作り」と話してくれる尾崎さん。人間の背丈ほどもある「歌舞伎十八番、熊谷敦盛組打」。

 店の中には、「弁慶」「藤娘」「め組の喧嘩」「肋六」など、作品がずらりと天井までうず高く展示されています。カラーで見せられないのが残念です。着物の材料は一〇〇%の絹を使用し、大きな羽子板になると一人前の生地を使います。西陣の生地を見立てに京都にいくこともあります。

 尾崎さんは兄弟の四男。江戸押絵羽子板の製作者を引き継ぐことなど、まったく念頭になく、公認会計士か税理士をめざしていました。ところが、兄が次々に他の道へ進んだため、尾崎さんが引き継ぐことに。

 小さいときから手伝いをしてきましたが、本格的には二十歳を超えてから。「教えてもらうことよりも、出来上がった作品を何回も作り直したりして覚えた。すべて手作りだから、同じ作品はない」と語る尾崎さん。「一番嬉しいことですか。出来上がる瞬間です」と、笑みを浮かべました。

 羽子板は、お正月の遊びとして、あるいは贈物に用いられました。「押絵」が取り入れられたのは江戸時代の初め頃。綿を布でくるみ、立体的な絵柄に仕上げます。江戸時代の後期には、歌舞伎役者の舞台姿を写した押絵羽子板が登場。歌舞伎の発展とともに発達し、その伝統的な技法が今日まで引き継がれています。

 伝統工芸士は東京で十人ほどしかいないそうです。東京・中央区月島に生まれ育ちましたが、現在は神奈川県二宮町に住み製作に励んでいます。奥さんのきみ子さんも作品の文字を書いたりして手伝っています。

 「もうかる仕事ではない。生活していければいいと思っている。手作りにこだわっていきたい。伝統工芸をなくすわけにはいかない」ときっぱりと言いきる尾崎さんです。

 尾崎さんの連絡先=神奈川県中郡二宮町二宮八二〇-五

(西村正昭)

(新聞「農民」2001.1.8付)
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2001年1月

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