「農民」記事データベース20010129-478-07

小林代表常任委員の開会あいさつ


一、農業・農山村の復権を!

(1)農業つぶしの悪政がいっそう激化

 一昨年、コメの関税化が強行され、その秋米が大暴落し、つづいて果物や野菜の大暴落で去年は本当に大変な一年でした。こういう事態に際して政府のやったことは、価格保障でなく、セーフガードを発動することでもありませんでした。

 私は新年になってついこの間、新潟県連のお世話をいただいて、新潟大学名誉教授の長崎明先生に従って、新潟の水田の排水事業を勉強する機会を得ました。私は全くの不勉強でしたから大変な驚きでした。

 越後平野はその昔は海だったそうです。信濃川や阿賀野川など上流から流れてきたドロが積もり、そこに生えた葦など雑草が生い茂り、その上にまた洪水でドロが堆積する――という何百年もの繰り返しでできたのが越後平野です。

 今は排水事業が進んで、一応普通の水田になっていますが、以前は、水田とはいっても広大な沼でした。田植も、稲刈りも腰から胸まで泥沼に浸かってしなければなりませんでした。今でもその当時の作業のフィルムがあってこれを見ることができます。決してオーバーなことではなく現実にあったことです。

 今でも地表から数十センチ下には、泥炭になる手前の腐った葦など草木・ブタカス(その地方によってはガソとかサンケなどの呼び方もあります)のまだドブドブした層があり、その上に新潟の土地があると聞いただけでも異常なことが分かるでしょう。だから平地にある道は舗装道路でもすこしずつ沈下しており、下にガス管などがあるところを通ると、そこだけは自動車がゴトンと揺れるほどです。

 このような平野を沃土にするためには、数十年にわたる全国に例を見ない、大規模な排水事業が行われたわけです。このようにして新潟の稲作は発展してきたのでした。こういう歴史は新潟だけではなく、地方によって違うにしても、今日の農業にはそれなりの歴史があったことはいうまでもありません。北の果て、北海道の農業も形は違っても同じく想像を絶する開拓の苦難がありました。広島県北の作木村をはじめ全国に見られる棚田の石垣、石垣のない棚田…。日本農業は文字通り血と膏(あぶら)、汗と涙の結晶のなかで築かれたものでした。

 こういう農地をつぶす政治。新潟の亀田郷の水田面積は一万ヘクタールだったそうですが、今は四千ヘクタールにまで減ってしまいました。彼ら財界・政府・自民党は二十一世紀に食料問題が重大化するというのに、この農業を蔑み、あざ笑い、農業を潰してきたのです。どうしてこれを許せますか!「農業・農山村の復権を!」という大会のスローガンにはそういう思いがあります。

(2)農業つぶしは自民党の弔鐘

 かつて自民党は、たとえば新潟の水田地帯の排水問題を取り上げて、農村をその政治的基盤にしてきました。けれども、今、農業をつぶす政治によって、彼らは自分の政治的基盤を自らの政策と行動によって壊してきたのです。

 この歴史的な変化を総選挙での自民党の得票率の低落ぶりで見ますと、農村地帯の代表的な東北六県、北陸五県でのこの二十年間の総選挙での自民党の得票率の変化(選挙法がそのつど違ってはいますが)では、東北の場合、八〇年では57・43%、九〇年では53・72%、二〇〇〇年では31・95%、と二十年間に45%も減らしています。北陸地方でも同じく59・93%、56・55%、39・92%と34・3%も減らしています。とりわけ九〇年つまり、WTO協定以前と以後の減らし方は非常に大きなものがあります。いま、大きな歴史的段階を迎えつつある――これが二十一世紀初頭の今日の奥深い歴史の流れではないでしょうか。

二、この一年の全国のたたかいをふりかえって

 この一年、皆さんの奮闘は目ざましいものがありました。セーフガードを発動せよという請願を採択した自治体は、四十七都道府県のうち二十九道県、62%におよび、市町村では一〇〇〇にのぼったことに、奮闘ぶりが現れています。ご承知のように、緊急輸入制限(セーフガード)の発動を言いだしたのは農民連であります。コメの関税化のとき、政府・自民党・農協中央の三者合意があってからは、日本農業新聞はWTO協定もセーフガードも一言も言いませんでした。昨年春のあの野菜大暴落のさなか、全くの黙殺でした。セーフガード発動を強く主張したのはまさに農民連でした。度重なる全国的な新聞「農民」の号外による宣伝、農業委員や農協理事などに新聞「農民」読者を増やしたこと…。皆さんが困難ななか黙々と活動されたことがこういう結果をもたらしたことは明らかです。心からの敬意を表します。

 私たちにとって非常に幸せなことは、私たちのこの運動が、国民の食糧と健康を守る運動に支えられていたことです。最近では、農地の全くない東京都の中央区とか千代田区の労働組合――全労連・全国一般がそこの区議会に対してセーフガードを請願しました。これは東京地本としても取り上げるとのことです。

 農産物輸入の激増は重大です。たしかに、一俵千二百円や千三百円の外米が輸入されることは大変なことですが、今、私たちが取り組んでいるのは、こういう事態に備えて、目先の価格でなく、今は販路を増やすこと――「外米を食べたくない(91%)」「どんなに安くても外米は買わない(47%)」(食糧庁モニター調査)という人々を更に大きく増やすということです。

 そういう点で、流通業の分野との共同が前進したのもこの一年の大きな成果でした。ほくほくネットの米卸と小売を通じて消費者と結びつこうという確かな歩み・運動が始まりました。埼玉県上尾への市場出荷が暴落のなかで軌道に乗り、関東ブロックでの食用トウモロコシ「スーパー・スイート」のリレー出荷の成功は、今後の全国ネットへの展望を切り開くうえで大きな成果だったと思います。

 セーフガードの問題といい、流通の問題や消費者との交流といい、現在の情勢のもとでは決定的に重要な問題で展望をきりひらきつつある――今度の大会のスローガンに「国民諸階層と団結して…」とあるのは、この道を確信をもって前進しようという決意を示すものです。また、今日の政治・経済の状況のもとで、苦しいのは農民だけではない、ということです。労働者はリストラ、賃下げ、長時間労働で苦しめられています。私たちが苦しんでいる農産物輸入が途上国の低賃金と深い関係があることもご承知の通りです。

 福祉と医療の削減は高齢者ばかりでなく、国民諸階層を脅かしています。銀行や巨大会社には大盤振る舞いをし、国民には一家族二千万円にもおよぶ負債を背負わせ、それでは景気はなかなか回復しません。

 これらは、国民諸階層との連帯・団結の重要性をしめすとともに、自民党政治の転換を実現するうえでも大きな展望へ繋げうる問題でもあります。

三、飛躍できる大きなチャンス

 最近の特徴は、「新聞『農民』を読みたい」とか、「新聞『農民』を見たが、農民連に入りたい。どうしたらいいか」というような電話やメールがかなり頻々とあることです。

 最近、「定年帰農」とか、都会から農山村に移り住む人々がけっこう目立ちます。「農林業のきびしさを知らないから」とか「年金があるから出来るさ」という声も聞かれます。しかし、農山村の人たちが「出て行きたい」と思っている都会に住む人々がこういう行動を示すということは、農山村の良さが客観的にあるからではないでしょうか。二十一世紀を見通したとき、そして年々悪くなる環境を考えるとき、もう一度真剣に農林業と農山村を考えてみませんか?

 しかも、いま、多くの人々が農業に展望を失っているとき、私たちの運動には大きな前進があり、新聞『農民』は多くの人の共感を得ています。生産をする農民連の仲間の活き活きした活動と他の農の字のつく組織や団体と比べたとき、外からみてどんなに魅力的に見えることでしょう。そのことを新聞「農民」を通じて少なくない人が感じている! これらのことは農民連の一大飛躍の条件を示すものではないでしょうか。

 こんなに農民連が飛躍する情勢がそうざらにあるでしょうか。去年の秋以降の各地の運動には感動的なものが非常に多かったように思います。だから今度の討論・発言はもっと感動的だろうと大いに期待しています。議案と討論(発言)は大会の二本の柱です。二十一世紀の幕開けにふさわしい活発な大会にしようではありませんか。

(新聞「農民」2001.1.22・29付)
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2001年1月

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