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元の生活にいつ戻れるやら… 能登半島地震から4カ月余 壊れた住宅の解体進まず 仮設住宅の入居すすんだが 生活再建のメドたたず 継続した強い支援必要(2024年05月13日 第1600号)

被災者に水や米を届けました

 能登半島地震の被災地では仮設住宅の建設が進み、入居も始まっていますが、元の生活には程遠い状況です。石川県珠洲(すず)市などでは道路下の水道管の復旧は済んだものの、各家庭の敷地内の被害把握が進んでおらず、ほとんどの家庭で断水したまま。「いつ直ることやら…」という不安の声が被災者から出ています。避難所での炊き出しも終了しつつあり、いまだに生業や生活再建のめどが立たない厳しい状況です。

聞いていたより被災状況は悲惨

 農民連は4月に入っても能登半島地震の被災地支援を引き続き行ってきました。4月17日には富山県農民連と石川農民連が共同で石川県輪島市の輪島診療所近くで炊き出し支援を実施。新日本婦人の会のメンバーや「なんてったって!伝統食の会―継いでいきたい日本の食の会」から7人が駆け付けました。12時開始の1時間前から人が集まり、おにぎり250人分、豚汁は300人分を配布しました。伝統食の会のみなさんは手づくりのおかずを提供。北海道から九州までの産直センターから寄せられ配布した野菜やかんきつ類も喜ばれました。
 なんてったって伝統食の会の栗原澄子さんは「かつて伝統食列車で訪れた思い出の地ですが、話に聞いていたよりも現状は悲惨でした。4カ月近くたつのに、置いてきぼりになっているようで、国は何をやっているのかと怒りがわきました」と話していました。
 18、19日には福島県農民連の皆さんがお米2トン超をトラックに積んで石川県入り。羽咋(はくい)市の共同支援センターと珠洲市の正院小学校避難所にお米と水、生活物資を届けました。お米は100人ほどの組合員が現物やカンパで協力したものです。

被災者のあいだの交流図りたい

なんてったって!伝統食の会からはたけのこの佃煮やハリハリ漬け、どら焼きなどが提供されました

 珠洲市の沿岸部では津波の被害もあり、浜には打ち上げられて壊れた漁船がそのままになっているなど、災害の爪痕が3カ月以上たってもくっきりと残っています。
 電気店を営む瀬戸裕喜子さん(66)は全壊判定の自宅で今も暮らしています。「今すぐに雇用がある仕事は土建業ぐらいですが、高齢の方が多く建設現場で働ける人はほとんどいません」。瀬戸さんは仮設住宅のエアコン設置などで何とか働いています。地震で全壊した住宅が多くありますが、危険があるもの以外の撤去は手つかずの状況です。
 「上下水道が自由に使えず、敷地内は自分でお金をかけて直さないと復旧がいつになることかわかりません。光熱費も高騰し生活費も不安です」と瀬戸さん。近くの集会所を物資の集積所にして配布会を開き、被災者間の交流を図りたいと考えています。

同じ農家としてやるせない思い

津波で打ち上げられた漁船

 支援物資を届けた福島県農民連の佐々木健洋事務局長は「私たちも震災を経験しているので、その大変さはわかるため、多くの組合員が支援に協力してくれました。万博に使う予算をこちらにまわしたらどれだけ復旧が進むのか。同時に地震で原発事故が起きたときに、こんな被害が出た道でどうやって避難しろというのでしょうか。対政府要請で原子力規制庁を問いただしたい」と語ります。
 また佐々木さんと一緒に支援に駆け付けた福島・会津農民連の菅沼弘志会長は「被害の大きさに言葉もありません。田植えの準備が始まっていましたが、何もできていない農地もあり、作付けをあきらめてしまったのかなと、同じ農家としてやるせない思いです」と被害に心を痛めていました。