被爆者の命あるうちに核なき社会を 広島に向けて出発 今年も平和行進がスタート(2024年05月27日 第1602号)

1958年から毎年続く原水爆禁止国民平和大行進が5月6日、67回目となった今年もスタートしました。(写真)
東京・夢の島の第五福竜丸展示館前では出発集会が行われ、日本原水協代表理事の高草木博さんがあいさつ。「2回行われた核兵器禁止条約の締約国会議には、アメリカの同盟国であるドイツやオーストラリアなどもオブザーバー参加している。日本にできないはずはない」と指摘。「核による威嚇を続ける大国と、大軍拡を進める岸田政権にはっきりとノーを突き付ける行進にしよう」と訴えました。
被爆者を代表して日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の家島昌志さんも連帯あいさつしました。「原爆の恐ろしさをロシアもアメリカもイスラエルもわかっているのでしょうか。私は被爆して72年でがんを発症しました。父親は屋内で被爆し、24年後にがんにり患。半年であっという間に亡くなりました。核兵器がなくならなければ私たちは死んでも死にきれません。この行進で日本が核廃絶の立場に立つよう訴えて歩こう」と切実な願いを訴えました。
東友会事務局長の村田未知子さんもマイクを握りました。「東京の被爆者は3分の2が亡くなってしまいました。もう時間があまりないのです。被爆者と友達になって、その人生を知り、その人生を伝えてほしい。被爆者と一緒に核廃絶のために生きてほしい」と呼びかけました。
東京から広島まで通し行進を行う大村美恵さんもスピーチしました。昨年の通し行進者、村上厚子さんと同い年でその姿を見て、自ら手を挙げた大村さんは夫が被爆2世でもあります。「夫の姉とその子どもは障害を持ち、夫の妹は流産を繰り返しました。自分も3人の子のうち2人目は生まれつきの脳の欠損で生後3時間でなくなりました。義父や亡くなった子どものためにも91日間がんばって歩き通したい」と決意を述べました。