食料自給率向上を今に訴える 飢餓警告之碑を訪ねて 埼玉・小川町 改定農業基本法の学習会 自給率向上を図るにはどうするか(2024年09月16日 第1617号)

「飢餓警告之碑」。このような碑は県内に11基存在します
「改定農業基本法」の学習会が8月24日、埼玉県の日本共産党小川町委員会と同後援会の主催で小川町で行われました。
講師は私が務め、基本法の問題点とともに「食料自給率向上を図るにはどうすればよいのか」についての7項目の提案を示し、議論しました。
その際、「小川町民報」に掲載された小川町勝呂(すぐろ)にある「飢餓警告の碑が私達に語りかけます」という文に注目し現地に赴き、碑のもつ意味を考えました。
埼玉県比企郡小川町勝呂(すぐろ)に天保7年(1836年)、地元の名主・吉田金右衛門明敬が「飢餓警告之碑」を建てました。
碑のわきの説明石版によると、碑文には次のように記されています。
「天保7年は夏の初めから秋まで休みなく雨が降り、非常に低温のため五穀は実らず蔬菜(=野菜)の成長は悪く収穫は極端に減少した。物価は高騰し住民は飢餓に苦しんだ。
こうした飢餓は30年から50年の間には必ず来るものであるから、平素から農事に励み、準備を決して怠ってはならない」
当時も食料が自給できず苦労が絶えなかったのです。現在、豊かな日本は飢饉(ききん)や飢餓とは無縁と思いこんでいないでしょうか。温暖化や紛争・戦争があちこちで起き、自給率の低い日本は常にリスクにさらされています。政府の無策で米騒動が起きている今、食料自給率向上を国是とするよう「飢餓警告之碑」が訴えているのだと思います。
1993年の米パニックの原因は、フィリピンのピナトッボ火山の噴火で平均気温が例年より0・4度ほど下がったことによるものと考えられます。天保の飢饉の原因も、同様のことが起きていた可能性があります。
(埼玉農民連会長 立石昌義)