農民連九州ブロック交流会 先輩が残した37年の歴史ある「土産」(2025年12月01日 第1677号)
長崎県農民連会長 荒木弘光
参加者で記念撮影。
前列右から3人目が荒木会長
長崎県南島原市で11月10、11の両日、農民連九州ブロック交流集会が開催され、参加しました。今回、沖縄以外の九州7県から参加があり、33人(女性6人)の参加で懇親会も含めて和やかに交流しました。
農民連本部から岡崎衆史事務局次長が「アグロエコロジーは世界の流れ」と題して報告し、価格保障と所得補償の必要性などを学びました。翌日のグループ討論は栽培方法など身近なアグロエコロジーなどについて熱心に話し合いました。
私の記憶では、この交流会は37年の歴史があり、先輩たちが残してくれた「土産もの」です。
各県の農民組合も、時の流れ、時代の変化に伴い、悩みや苦しみも発生します。そんなときにも九州ブロックで相談して、力を借りたり貸したりで切り抜けたことを思い出します。
特に米や野菜の産直時代は、不足時の物の補充を手伝ってもらって切り抜けたことはしょっちゅうでした。
雲仙岳の噴火で全国から支援が
グループに分かれて討論
私は地元からの歓迎あいさつで次のことを話しました。一つは、今から400年ほど前の島原の乱で、時の権力とのたたかいです。信仰の自由を奪われたキリシタンと重税に苦しむ農民が原城にこもってたたかい、全滅した出来事です。これは原城一揆として歴史に残り、今も郷土史家に語り継がれています。たたかう農民組合がここに交流の場を設けたことは大きな意義があります。
2つめに、全国の農民組合が雲仙に集まって2泊3日の、農民運動を発展させる研究交流集会を1990年に開催したことです。新聞「農民」が本格的に始動したのはここからだったと記憶しています。
3つめに、雲仙岳が200年ぶりに噴火して大きな被害が出たときでした。このときは45人が犠牲になり、農業被害も多大なものがありました。具体的には、主作物であるタバコの葉に火山灰が当たって穴が開いたり、レタス、キャベツに火山灰が入り込んで出荷不能になったりで、野菜が作れない状況になりました。
雲仙岳の火山灰は、日本では珍しいヌルヌル型で空に噴き上げずに火口付近にドーム状になって固まっていきます。それが大きくなったら割れて、山の下へ転がり落ちていきます。火の固まりが落ちてくるので、それが砕けて「火砕流」となり、熱風ですべてを焼き焦がしてしまいます。
農家が頼る存在 大きく成長を
これが被害の実態ですが、このとき、全国からの災害支援もありましたが、農業被害については、農民連が先頭に立ち、支援を惜しみませんでした。私は地元の被災者に同行して、農水省に農業被害の救済の申し入れに行きました。
そのとき以来、「農家が困ったときは農民連」「農民の頼るところは農民連」と思っています。今後も大いに活躍し、大きく成長することを願っています。

