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寄稿 高市総理の施政方針演説の本質は? 池上甲一・近畿大学名誉教授(西日本アグロエコロジー協会共同代表)(2026年03月16日 第1691号)

農民・農家不在の産業主義的農業へ

 2月20日の高市早苗総理による施政方針演説(以下、演説)は「強い」日本の「力」志向に塗りつぶされている。8本の柱立てのうち7本は経済力、技術力など「力」を付している。
 第2次安倍内閣から石破内閣までの演説で、ここまで「力」を全面的に打ち出した例はない。この基底には「責任ある積極財政」を前面に打ち立てた政府主導型新自由主義への盲信がある。本来政府主導と新自由主義とは相反するが、この矛盾に満ちた論理を可能にしたのが、社会の多様な局面をすべて経済に回収しようとする姿勢にある。
 農業の捉え方はこの特質をよく表している。演説では、「食料安全保障」を「危機管理投資」の一環とした。しかし、足下の農業と農村は崩壊寸前にある。演説にはこのことへの「危機意識」は微塵(みじん)もなく、強い農業への幻想だけが浮遊している。
 2025年10月24日の所信表明と今回の演説は大筋で変わっていない。農業構造転換集中対策、植物工場、陸上養殖、先端技術活用、輸出促進を基本的に継承し、食糧法の「改正」に関する項目を追加した。結局は強い経済に貢献する「稼げる農業」に重点がある。また「地域未来戦略」の中に農山漁村・中山間地域を位置づけたが、これも産業クラスター形成による強い地域経済が肝である。

農業ビジネスに将来は託せない

 最大の問題は、農民・農家が全く視野の外にあることだ。演説には、農民と農家は全く登場しない。食料安全保障の内実をなす農畜産物は言うまでもなく、農民・農家が生産したものだ。コンピューター画面を眺める植物工場の従業員は、高市総理の視野にあるが、炎暑の下で汗を流す農民・農家の姿は目に入らないのだろう。規模拡大はもとより、民間投資と金融ビジネスと融合させて資金を確保し、生命技術と情報工学を結びつけた最先端スマート農業を推し進める企業経営が目指す姿なのだろう。
 このような「農業」ビジネスは経済的成果を上げるかもしれない。しかし、そこに国民の基本的な「食べもの」と国民のコモンズ(公共財)である田んぼや畑、里山や水路の将来を委ねることができるだろうか。
 農学栄えて農業滅ぶ。これは横井時敬(農学者・農業経済学者)の警句として知られる。この伝でいえば、演説は「農業栄えて農家・農村滅ぶ」の方向を打ち出した。農業と農民・農家と農村は一体的である。演説はこの一体性を解体し、企業と投資家が主体の産業主義的農業へと舵(かじ)を切ったと言える。
 高市総理が演説の冒頭で引用した吉田松陰は「地を離れて人なく人を離れて事なし、故に人事を論ぜんと欲せば先ず地理を観よ」(地域の人々のなりわいを知らずに社会を論じても無益だ)と述べている。以(もっ)て銘ずるべし。