原発事故は東電と国による人災 3/7「なくそう原発全国集会」での発言から(2026年04月27日 第1697号)
盛岡大学学長 環境社会学者
長谷川 公一さん
長谷川学長
「原発はいらない」とアピール
3月7日に都内で行われた「なくそう原発全国集会」での盛岡大学学長で環境社会学者、長谷川公一さんの発言要旨を紹介します。
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日本には793校の大学があります。そのなかで脱原子力の立場を明確にして、被災者を支援する証言をした学長は1人だけです。当たり前のことを当たり前に発言する大学のリーダーが日本にはいかに少ないかということです。
福島を忘れない、東電福島原発事故を忘れない、東電福島原発事故の被災者を忘れないことは、脱原発の決意を新たにすることです。
保安院が作為的事故対策を怠る
福島原発事故はなぜ起きたのか? 福島原発事故は人災です。東京電力株式会社と日本政府が引き起こした犯罪です。
「ふるさとを返せ、津島訴訟」控訴審で証言しましたが、津波にあっても過酷事故対策ができていれば大事故には至らなかったのです。2006年3月と08年5月の2回にわたって、保安院の幹部職員ら計13人がアメリカの原子力規制委員会に招かれました。01年9月11日の同時多発テロを契機として、当時104基あったアメリカの全ての原発で実施されるようになった新しい過酷事故対策について、詳しい説明を受けて帰国しました。
しかし彼らは結局、頬かむりをし、学んだことを内部情報にとどめ、電力会社にも一切伝えることをせず、対策を先送りしたまま11年3月11日を迎えてしまいました。「1992年以来、過酷事故対策は安全規制の対象ではないとしてきた原子力安全委員会および原子力安全保安院のこれまでの姿勢と相いれない」というきわめて官僚的な発想からです。保安院は意図的・作為的に、過酷事故対策を怠ってきたのです。
津波対策という第一の砦(とりで)が破られても、過酷事故対策という第二の砦がしっかりしていれば、福島第一原発という「城」は守られ、津島地区をはじめ被災者の生活と地域社会は守り得たはずです。過酷事故対策が不備だったからこそ、福島原発事故は大惨事になったのだというもっとも基本的な事実を、日本の裁判所はしっかり受け止めなければなりません。
原発は攻撃に対して無防備だ
現在トランプ政権は国際法を無視して、国連も無視して、国際世論を無視して、暴走を続けています。ロシアのウクライナ侵攻以降、急速に増大しつつある無人機による爆撃やドローンによる爆撃が意味するのは、原子力発電所にとっての新たな脅威です。日本のすべての原発はこれらの攻撃に対して、無防備です。
日本人は忘れっぽいと言われていますが、そうではありません。政治家やマスメディアや日本の有力者たちは、忘れたフリをするのが、忘れたフリをさせるのが得意なだけです。古事記の昔から口づたえによって、また墨と筆と和紙によって、日本社会は、たくさんの記憶と記録を伝えてきました。忘れたフリをするようになったのは、たかだか戦後のこの80年間のことです。
露骨な原発推進規制委骨抜きに
22年6月17日の最高裁判決以降、岸田内閣・石破内閣、現在の高市内閣と、原発推進政策が年々露骨にすすめられるようになってきました。原子力規制委員会も、事実上骨抜き化が進んでいます。日本列島のどこかで、再び原発事故が起きるリスクは少なくありません。
政府はまた、難航している最終処分場の新たな候補地として、東京都小笠原村の南鳥島を発表しました。電力の最大消費地、東京都内に最終処分場をつくろう。住民のいない無人島だ、本州から1800キロメートルも離れている。トイレができるから、これで遠慮なく原発を推進できる。名案だろう。政府や電力会社の高笑いが聞こえてきます。
すでに始まっている福島原発事故による汚染水、ALPS処理水の福島県沖、太平洋への海洋投棄は30年以上も続きます。政府や電力会社は、10万年にわたって、太平洋を汚染するリスクを平然と冒そうとしています。
忘れないことはいのち守ること
福島原発事故から15年。福島を忘れないことは、平和と安全、いのちと暮らしを守ることです。福島の被災者のいのちと暮らしだけではなく、日本社会全体の、そして東アジアの、さらには地球の、将来世代の平和と安全、いのちと暮らしを守ることです。

