新聞「農民」
「農民」記事データベース20181217-1340-03

結成30年の力を生かし、日米FTAストップ、
「家族農業の10年」の運動を広げ、
強く、大きい農民連を
(1/10)

農民連第23回定期大会決議(案)
2018年12月5日
農民運動全国連合会常任委員会

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T はじめに――農民連結成30年を振りかえって

 「この米価ではやっていけない」「高齢化で担い手がいない」など切実な声が地域にはうずまいています。このような困難なもとでも、私たち日本の農民は毎年、土を耕し、国民の食料と地域を守ってきました。そしていま、多くの若者が農村に新たな価値を見いだし、農に生きる道を選んでいます。

 農民連は1989年1月の結成以来、その先頭にたち続け、30周年を迎えました。

 第23回定期大会は、結成以来の30年の教訓と到達点を明らかにし、未来を展望する重要な役割をもっています。今大会を農業と農山村を再生し、農民運動と農民連組織の新たな発展の転機にするために力を尽くそうではありませんか。

 (1)「行動綱領」を指針に、農民運動のナショナルセンターの重要な地歩を築いた30年

 農民連は、アメリカと日本の財界の支配によって破壊された日本の農業と農民経営の危機を打開し、農業の再建をはかるため、農民運動の積極的な伝統を継承し、たたかう農民の組織として1989年1月26日に結成されました。

 農民連の目的と展望を端的に示した「行動綱領」は、1950年代後半から始まった農業破壊の根源がアメリカいいなり、財界・大企業の利益を最優先にする政治にあると規定し、その時々の課題を農業破壊の根源と結び付け、分断攻撃をはね返してたたかってきました。

 また、農業を守り発展させることは、農民や農村住民だけでなく国民・消費者の課題であり、国民合意なくして農業は守れないという立場でたたかってきました。食健連(国民の食糧を健康を守る運動全国連絡会)を国民諸階層と連帯する運動の軸と位置づけて共同し、ガット・ウルグアイラウンド合意やWTO(世界貿易機関)国会批准阻止、BSE、外米汚染問題での政府の責任追及、米価暴落対策、食品分析センターの創設と輸入農産物の残留農薬摘発、災害被災者救援、福島原発事故の損害賠償と原発ゼロ、農協解体攻撃やTPP(環太平洋連携協定)阻止、岩手県漁民組合の結成を契機とした全国沿岸漁民連絡協議会の結成など、幾多のたたかいを発展させてきました。

 平和や民主主義、国民全体の暮らしを守ることなくして農民の要求は実現しないという立場から、農業・食糧問題と平和、憲法、民主主義を守る運動を結んだ共同の運動に力を尽くしてきました。

 行動綱領が指摘している「日本の農民運動にとって不幸だったのは、組合員の政党支持・政治活動の自由を守り、思想・信条のいかんにかかわらず、共通の要求を実現するために団結するという、民主的な大衆組織の原則に立った真の全国センターがなかったことである」の見地を貫き、要求で一致するすべての農民に団結を呼びかけ、門戸を開いてきたことは重要な教訓でした。

 こうしたたたかいを通して日本農業新聞の農政モニターの約8割が安倍農政を支持しないという大きな変化がつくられ、市民と野党の共闘に農民連が貢献し、自公政権に代わる農業・食糧を守る新しい政権を展望する時代が切り開かれています。農民連が特定政党を支持する組織であったなら、要求運動も共闘による運動の発展もつくられなかったでしょう。

 2015年9月の「国連持続可能な開発サミット」で、30年までに貧困と飢餓を撲滅し、「持続可能な社会を実現するための開発目標」(SDGs)が設定され、17年12月には、国連総会で19年から28年までの10年間を「家族農業の10年」として全世界でキャンペーンを展開することが決議されました。さらに、国連総会第3委員会が11月20日に「農民の権利宣言」を採択しました。

 こうした国際社会の動きは、農民連が結成以来掲げてきたことと多くの点で一致するものであり、強く歓迎します。

 多国籍企業の要求にそって農業の大規模化・工業化を推進してきた国連の立場を転換させたのは、食糧主権を対置してWTOやTPPとたたかうなど、国際的な農民組織「ビア・カンペシーナ」を先頭にした運動と30年にわたる農民連の運動が大きく貢献しています。

 日本では新自由主義にもとづく格差と貧困拡大、家族農業から企業的農業への構造転換、食料自給率の歯止めのない低下など、国際社会が希求する持続可能な社会とは真逆の政策が強行されています。この日本で持続可能な社会をめざす運動を高揚させることは、「安倍政治」を国民的に包囲して終えんさせるとともに、「農民の権利宣言」をより実効性と拘束力を持ったものに発展させることに貢献するでしょう。

 農民連はこの流れを加速させる運動の先頭に立たなければなりません。

 (2)生産を広げ、地域を守り、産直運動を発展させたとりくみ

 農民連が結成以来、最も重視してきたことは「ものを作ってこそ農民」のスローガンに示される生産点の運動でした。悪政のもとで、地域で知恵を出して生産を守る核となり、新規就農者や定年帰農者を支えて奮闘してきました。

 また、各地で進められてきた産直運動を全国的な運動として発展させるために89年に産直運動全国協議会を立ち上げ、04年8月には「農民連ふるさとネットワーク」に発展的に改組し、生産の拡大、広範な国民、中小流通業者とのネットワークを広げてきたことも大きな前進でした。

 農民連は、中小の米卸や小売と共同した「準産直米」、学校給食への地場産農産物の提供や直売所・朝市、農産加工など多様な地産地消のとりくみを発展させています。

 また、農民連結成直後から、30年近くにわたって新日本婦人の会会員との全国的な産直を発展させてきたことは、生産、運動、事業を結んだ新しいスタイルの農民運動を前進させる契機となり、生産者と消費者の提携の流れを促進し、多数の国民が国内産を求めるという世論に結実しています。

 大企業の流通支配の強まりに抗した「もう一つの流通の流れ」を作る運動は、食糧主権に接近する地域からの実践としても重要でした。

 (3)多様な要求運動の発展

 『税金の手引き』や『記帳簿』が作成されたのは85年の農民懇(農民連の前身、農民運動の全国センターを考える懇談会)の時代でした。以来、農民連結成から今日まで、所得税の自主申告を中心に、免税軽油、国保・介護保険・固定資産税の軽減など、農民の暮らしと生産にかかわる多様な要求を実現する運動と結んで会員拡大と組織作りを発展させてきました。

 (4)農民連への期待の高まりと会員、「農民」読者拡大の展望

 多数の農家が農政に怒りや不安を募らせ、暮らしを破壊する政治に苦しめられているなかで、その時々の農家の苦悩の解決と、根本的解決の展望を掲げてたたかう農民連の運動は、多くの農民に共感され、農業の展望を開くよりどころとなっています。

 また、食糧主権の展望を持ち、地域農業を守る共同の“核”として奮闘する農民連の活動は、農協攻撃のなかで奮闘する農協組織、農業委員会などに信頼を広げています。「日本販売農業協同組合連合会」(現日本販売農業協同団体連合会、20JA・12万人で構成)が農民連に加盟したことは、農民連への期待の大きさを示しています。

 農民連は多くの県連組織の基盤が未確立な状態の中で発足し、組織原則、運営、財政など、先進的な経験をよりどころに、要求を基礎にした“近代的”組織作りに努力してきました。

 いま、47都道府県に連合会を持つ組織に到達し、農家比で10%に迫る県連組織や、地域で重要な位置を占める組織も生まれています。

         □ >>〔次ページ〕

(新聞「農民」2018.12.17付)
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